弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

小規模法律事務所における勤務弁護士雇用の困難 ~前文・目次~

 私は、2020年12月に初めて勤務弁護士を雇用して以来、合計2名の勤務弁護士(いずれも新人弁護士)を雇用してきた。その間、私は「新人弁護士研修資料」及び「ボス弁」論という記事を書き、勤務弁護士の育成や向き合い方についての考えを記してきた。

 しかし、2024年3月、私はその当時在籍していた弁護士に退職してもらい、一旦「ボス弁」としてのキャリアに終止符を打つことを決めた。なぜかというと、後述するとおり、私の勤務弁護士雇用は、少なくとも経営的に見る限りは「失敗」であったからである。

 そこで、今回の記事では、私の「失敗」について原因を振り返った上で、その対策、すなわち勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所とはどのような事務所であるかについて考えてみたい。

 本記事の構成は以下のとおりである。

 まず、「第1 勤務弁護士の『売上貢献率』」では、勤務弁護士雇用の鍵概念となる「売上貢献率」について解説する。法律事務所の経営もまた慈善事業ではない以上、勤務弁護士を雇用するのであれば、そのことによって利益が生じなければならない。なぜなら、利益の生じない雇用は投資の失敗にほかならず、私のようにいずれ損切りをしなければならない時期が来るからである。言い換えれば、そのような雇用は持続可能ではない。

 ここまではある意味当たり前のことであるが、私はその先を具体的に考えることなく、「損にはならないだろう」と安易に考えて弁護士の雇用を開始してしまった。それが失敗の本質であったと今となっては思うのである。

 次に、「第2 私の失敗の原因」では、売上貢献率という概念を手がかりとして、私がなぜ勤務弁護士雇用によって利益を上げられなかったかについて原因を探っていく。一つ前置きをしておくと、私は、失敗の原因が勤務弁護士の能力や勤勉さの不足にあったとは思っていない。むしろ、原因はいずれも私の仕組みづくりが不十分であったことや従来型の小規模法律事務所の置かれた経済構造に起因していると考えている。

 最後に、「第3 勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所」では、私の失敗を踏まえて、勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所とはどのような事務所であるかについて考えていく。そうしてみると、必要な施策は、勤務弁護士(特に新人弁護士)を継続的に採用し、規模を順調に拡大しているような大規模・中規模法律事務所が実際に行っている施策と共通することが見えてくる。そうした中で、私のような小規模法律事務所が採り得る施策は何かについて考えていきたい。

 

<目次>

第1 勤務弁護士の「売上貢献率」

第2 私の失敗の原因

第3 勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所

 

勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所(小規模法律事務所における勤務弁護士雇用の困難「第3」)

 さて、私の失敗を踏まえて、勤務弁護士の雇用を成功させることのできる法律事務所とはどのような事務所であるかについて考えてみたい。

 改めて述べると、勤務弁護士の雇用が経済的に成功したといえるのは、

  • A.(勤務弁護士の関与する事件の売上×売上貢献率)の総和(=勤務弁護士が事務所にもたらした売上)を計算し、それが
  • B.勤務弁護士に対して支払う給与等の合計額(事務所の実質負担額)を上回る場合

である。

 

 まず、A.の観点からいえば、勤務弁護士の売上貢献率、とりわけ「事件処理過程」における貢献率を安定して高めることが必要である。そして、その方法の一つが分野特化による取扱案件の定型化だと思われる。

 また、実務能力の高い中途採用の弁護士を雇用することも、「事件処理過程」における貢献率を高める有効な手段と考えられる。

 加えて、勤務弁護士の売上貢献率を高める方法としては、勤務弁護士に営業活動を求めることも有効である。これによって、勤務弁護士には「営業過程」又は「受任過程」における貢献率が加わるため、より少ない売上高で雇用がペイするようになる。実際に、規模を拡大している弁護士法人の中には、複数の支店を持ち、勤務弁護士に支店長を担わせているところがあるが、支店長に高めの給与を支払うことができるのは「営業過程」又は「受任過程」における貢献率があるためだと考えられる。

 他方で、B.の観点からいえば、個人受任売上の納入を増やすことが有効である。すなわち、昨今の弁護士求人市場の売り手(求職者)優位の状況に鑑みると、給与等の金額を減らすことは難しく、かつ、限界がある。そのため、事務所の実質負担額を減らし、勤務弁護士の損益分岐点を引き下げるためには、個人受任売上の納入を増やすことが有効であり、かつ、勤務弁護士との関係においてもWin-Winである。

 

 さて、私はというと、大きく失敗はしたものの、勤務弁護士の雇用を諦めたわけではない。正確にいえば、当面は弁護士1名(私)+事務職員複数名という体制で時間あたり生産性を上げていく方針ではいるものの、それだけでは私や事務職員の加齢にしたがって組織に様々な矛盾が生じてくると予想している。そのため、中長期的視野をもって勤務弁護士の雇用には再び取り組みたいと思っている。

 そのための具体的な方策として、まず事務所の立地を変えることにした。つまり、現在の立地では事務所事件や勤務弁護士の個人事件の集客に限界があると感じるため、より集客に有利な立地を取ることにした。

 また、採用のターゲットを中途弁護士に絞ることにした。私はこれまで新卒信仰ともいうべき考えを持っていたが、売上貢献率の概念を前提にすると、新卒者をもって利益を上げることがいかに難しいかを理解することができた。そのため、当面の間は、入所時点で一定の事件処理能力(=「事件処理過程」における売上貢献率)を持つ中途弁護士を採用することにした。

 そのうえで、勤務弁護士にも一定の個人受任売上を上げてもらうこととし、給与+個人受任売上で収入を確保してもらう給与体系にした。したがって、事務所から支払う給与額自体は低いものの、所定労働時間は6時間/日であり、空いた時間で自由に個人事件をしたり、私生活に充てることができるため、人によっては好条件ではないかと思う。

 なお、分野特化に関しては、不幸にも一つに絞ろうと思う分野がないため、当面は緩やかにやっていこうと考えている。

 以上の考えの下で求人を出しているものの、現在のところ応募はゼロである。しかし、昨今のAIの台頭を見ると、近いうちに弁護士求人市場は再び買い手(雇用主)優位に転じるようにも感じているため、気長に応募を待とうと思う。

私の失敗の原因(小規模法律事務所における勤務弁護士雇用の困難「第2」)

1 仕事を任せられなかった(=売上貢献率を高められなかった)

 まず主たる原因として、私がキャリア1~2年目の勤務弁護士に対して仕事を十分に任せられなかったことが挙げられる。その結果、勤務弁護士の売上貢献率のほとんどが20~30%(事件によっては10%)にとどまり、関与した事件の売上高が年間1500万円だとしても事務所にもたらした売上は300万円~450万円以下にしかならなかった。

 この問題の解決策は、言うまでもなく仕事を任せることである。極端な話、勤務弁護士に事件処理過程を専ら任せる(≒丸投げする)ことができるのであれば、勤務弁護士の売上貢献率は50%となり、関与した売上高が年間1500万円であっても事務所にもたらす売上は750万円となり、十分な黒字となる

 ただ、弁解に過ぎないとは自覚しているが、私も部下に仕事を任せることの重要性については熟知しているつもりであった。「任せ方」について書かれた本も散々読んだ。しかし、それでも私は勤務弁護士に仕事を任せることができなかった。

 なぜかといえば、私の持っている事件が非定型であり、分野がバラバラであったことが大きい。すなわち、私はこれまで分野特化をして来ず、総花的な広告や紹介を通じて様々な種類の事件を受任してきたため、勤務弁護士としては、事件ごとにキャッチアップが必要な状況に置かれてしまった。そのため、いつまで経っても私が事件処理過程に一定程度関与する状況が続き、勤務弁護士の売上貢献率は上がらなかった。

2 高い給与水準で雇用してしまった(=損益分岐点が高かった)

 次に、高い給与水準で勤務弁護士を雇用してしまったことが挙げられる。

 具体的には、私は勤務弁護士を月給40万円~43万円の雇用契約で雇っていた。これは社会保険料や弁護士会費を含めると、年間で約600万円の負担になる。

 そして、このことが勤務弁護士雇用の損益分岐点を上げる結果となってしまった。

 この点、私が弁護士登録をした2013年当時、勤務弁護士の給与水準はもっと低かった。例えば、私は月給35万円の業務委託契約で使用(≠雇用)されており、国民健康保険料・国民年金保険料と弁護士会費は自己負担だったため、事務所の負担は年間420万円に過ぎなかった。

 さらに重要な点として、私の頃以前の勤務弁護士は、積極的に個人受任をしていた。いや、正確には個人受任の機会がふんだんにあったため、断らなければ誰でも個人受任ができた。そのため、私も弁護士1年目から年間300万円ほどの個人受任売上があったし、当時の事務所の先輩弁護士などは給与の2倍(年間840万円)以上の個人受任売上があったらしい。

 そのことが勤務弁護士雇用の損益分岐点にどう影響するか?

 周知のとおり、多くの法律事務所では、勤務弁護士が個人受任売上を得た場合、一定の割合を「経費」として事務所に納入することになっている。その割合は3割とする事務所が多い。そのため、仮に勤務弁護士に年間300万円の個人事件売上があったならば90万円を事務所に納入し、年間840万円の個人事件売上があったならば252万円を事務所に納入することになる。したがって、勤務弁護士の年間給与が420万円のケースであれば、前者の場合には事務所の実質負担額は330万円(=420万円-90万円)となり、後者の場合には事務所の実質負担額は168万円(=420万円-252万円)となる。

 これに対し、私が2020年~2024年までに雇用した勤務弁護士は、ほとんど個人事件を受任することがなかった。これには様々な理由があると思う。一つには、私が現在事務所を置いている千葉市中央区(千葉地方裁判所の本庁近辺)などの地域は既に弁護士過多になってしまっており、個人受任の機会自体が大幅に減少しているのだと思う。また、もう一つには、勤務弁護士の給与水準が上がったことにより、個人受任の必要性が以前ほど感じられなくなっていることもあると思う。

 実際に、私が弁護士登録をした当時は、月給35万円から国民健康保険料・国民年金保険料と弁護士会費を負担し、税金も支払う必要があったため、一人暮らしをするためには個人受任売上が必須であった。だから、選り好みをせず弁護士会や法テラスから配点される事件を何でもやっていた。しかし、現在の勤務弁護士には、そこまで切羽詰まっている人は少ないように思う。

 いずれにしても、勤務弁護士の給与水準が低く、かつ、個人受任売上の納入も期待できた時代には、勤務弁護士雇用の損益分岐点はだいぶ低かったと考えられる。仮に事務所の実質負担額が330万円(=420万円-90万円)であれば、勤務弁護士の売上貢献率が20%であっても1650万円分の事件に関与させれば元が取れる。これに対し、事務所の実質負担額が600万円の場合には、勤務弁護士の売上貢献率が20%のとき、3000万円分の事件に関与させなければ元が取れないことになる。

3 勤務弁護士に任せるべき案件数を把握していなかった

 加えて、私は、勤務弁護士に任せるべき事件数を把握せず、何となく仕事を振っていた。これも失敗の原因であったと思う。

 つまり、勤務弁護士に対して支払う給与等の合計額が年間600万円であるとき、勤務弁護士の売上貢献率が20%の場合には合計3000万円分、勤務弁護士の売上貢献率が50%の場合には合計1200万円分の事件に関与させなければならない。このとき、事件単価が50万円の場合と100万円の場合とで場合分けをし、平均終結月数ごとに常時手持ち件数(目安)を計算したのが以下の表である。

 

■売上貢献率20%(年間3000万円分の事件への関与が必要)の場合の常時手持ち件数(目安)

平均終結月数

事件単価50万円(年間60件処理)

事件単価100万円(年間30件処理)

6ヶ月

25件

12.5件

7ヶ月

30件

15件

8ヶ月

35件

17.5件

9ヶ月

40件

20件

10ヶ月

45件

22.5件

11ヶ月

50件

25件

12ヶ月

55件

27.5件

 

■売上貢献率50%(年間1200万円分の事件への関与が必要)の場合の常時手持ち件数(目安)

平均終結月数

事件単価50万円(年間24件処理)

事件単価100万円(年間12件処理)

6ヶ月

10件

5件

7ヶ月

12件

6件

8ヶ月

14件

7件

9ヶ月

16件

8件

10ヶ月

18件

9件

11ヶ月

20件

10件

12ヶ月

22件

11件

 

 すなわち、年間3000万円分の事件というのは、事件単価が50万円の場合には年間60件を意味する。その場合、平均して毎月5件ずつ(60件÷12ヶ月)新規事件を勤務弁護士に任せていくことになる。そして、事件の平均終結月数が6ヶ月だとすると、5ヶ月目までは事件数が5件ずつ増えていき(5件×5ヶ月)、6ヶ月目以降は新規受任件数と終結件数とが拮抗することになるため、常時手持ち件数としては25件が目安となる。このようにして事件単価と平均終結月数ごとに常時手持ち件数(目安)を計算してみた。

 これに照らしてみると、私の場合、キャリアの浅い勤務弁護士に任せる事件は高単価のものばかりではなかったため、事件単価としては50万円ほどであった。そのため、平均終結月数が6ヶ月の場合でも常時25件、調停や訴訟を含み、平均終結月数が延びる場合にはそれ以上の常時手持ち件数を任せなければならなかった。しかし、実情はといえば、私は勤務弁護士に対してそれを下回る事件数しか任せていなかった。

勤務弁護士の「売上貢献率」(小規模法律事務所における勤務弁護士雇用の困難「第1」)

1 「売上貢献率」という概念の必要性

 おそらく、多数の勤務弁護士を雇用する法律事務所では、勤務弁護士の評価基準、とりわけ各弁護士が事務所にもたらした売上を計算する基準を設けているのではなかろうか。

 例えば、1年目の新人弁護士に対して離婚事件の担当を任せたとする。仮にその事件の売上が合計100万円(例:着手金40万円、報酬金60万円)であったとして、新人弁護士が事務所にもたらした売上は満額の「100万円」だと評価してよいのだろうか?

 答えは否だと考える。なぜなら、顧客が事務所に対して支払った100万円に対し、新人弁護士の貢献率は100%ではないからである。

 すなわち、貢献率100%というのは、

  • 新人弁護士が自分の人脈、広告、弁護士会の配点などを通じて当該顧客と接点を持ち(以下「営業過程」という。)、
  • 新人弁護士が単独で初回法律相談を行った末に受任をし(以下「受任過程」という。)、
  • 新人弁護士が単独で事件処理をし(以下「事件処理過程」という。)、
  • 決裁、すなわち事件処理の判断過程も専ら単独で行い(以下「決裁過程」という。)、
  • 事務作業も事務職員に頼らずに行った場合(以下「事務作業過程」という。)

に限られる。

 

 しかし、新人弁護士の場合、実際には

  • 営業過程は専らボス弁が行っていることが大半であり、
  • 初回法律相談にもボス弁と共同で入っていることが多く、
  • 事件処理もボス弁と共同で行い、
  • 決裁はボス弁が行い、
  • 事務作業は事務職員に担ってもらっている。

 そのため、新人弁護士の売上貢献率が100%ということはまずあり得ないのである。

 

 では、売上貢献率の具体的数値はどのように計算すべきか?

 これについては、おそらく各法律事務所で見解が異なるであろうし、どの過程に重きを置くかによっても異なってくると考えられる(例えば、多額の広告費をかけるなど「営業過程」「受任過程」に重きを置いている事務所はそれらの過程に高い貢献率を充てるであろう。)。また、身も蓋もないことを言ってしまえば、個々の事件や仕事によっても貢献率は千差万別といえる。

 しかし、売上貢献率の定式化を図らない限り、各勤務弁護士が事務所にもたらした売上を計算することはおよそ不可能になってしまう。そのため、各事務所の判断により、勤務弁護士の売上貢献率の定式化を図る必要がある。

2 私の採用した売上貢献率の定式

 そこで、私も遅ればせながら、最後の勤務弁護士が退職する数ヶ月前になって売上貢献率の定式化を図ってみた。

 まず、「営業過程」及び「受任過程」の貢献率の合計を30%とした。以前、とある大規模法律事務所が、事件を受任した弁護士と当該事件を処理する弁護士の報酬割合を3:7と定義しているという話を聞いたことがある。そのため、「営業過程」及び「受任過程」の合計で30%というのは、ある程度共通了解の得られている数値ではないかと思う。

 次に、「事務作業過程」、すなわち事務職員の貢献率を10%とした。ただし、これは私の受任案件がどちらかといえば事務職員に依存しないものが多いためであり、破産事件など事件処理の比重が事務職員にあるものに関しては事務職員の貢献率をより多く認めるべきと考える。

 続いて、「決裁過程」の貢献率を10%とした。なぜなら、仮に事件処理の全てを勤務弁護士に委ねるにしても、提出書面等の決裁は決して楽な仕事ではなく、内容によっては懲戒処分といった重い結果を負うリスクのあるものだからである。

 そして、以上の結果、「事件処理過程」の貢献率は50%であり、これを勤務弁護士とボス弁とで分け合うことになる。さらに定式化するならば、以下の表のとおりとなる。すなわち、新人弁護士の最初期のような「見て学ぶ段階」では勤務弁護士10%、ボス弁護士40%くらいではないかと考える。これが「やってみて学ぶ段階」になると勤務弁護士20~30%、ボス弁護士30~20%となり、「案件を主導する段階」になると勤務弁護士40~50%、ボス弁護士10~0%となる。

 

見て学ぶ段階

営業過程・受任過程

30%

事件処理過程

決裁過程

10%

事務作業過程

10%

勤務弁護士

10%

ボス弁

40%

         

 

やってみて学ぶ段階

営業過程・受任過程

30%

事件処理過程

決裁過程

10%

事務作業過程

10%

勤務弁護士

20%~30%

ボス弁

30%~20%

         

 

案件を主導する段階

営業過程・受任過程

30%

事件処理過程

決裁過程

10%

事務作業過程

10%

勤務弁護士

40%~50%

ボス弁

10%~0%

         

 

 

3 私の事務所の場合

 まとめると、

  • A.(勤務弁護士の関与する事件の売上×売上貢献率)の総和(=勤務弁護士が事務所にもたらした売上)を計算し、それが
  • B.勤務弁護士に対して支払う給与等の合計額(事務所の実質負担額)を上回る場合に、当該勤務弁護士の雇用が(経済的に)成功したということができる。

 では、私の事務所の場合はどうだったか?

 既に「失敗」と述べたとおり、計算結果は雇用全期間を通じて赤字であった。しかも、その赤字は最大時で年間450万円、最小時でも年間330万円という大幅なものであった。

 次項では、なぜ私がそのような大幅な赤字を出してしまったのかについて原因を探っていく。

弁護士法人を設立してみてわかった、課税上のメリットのこと。

はじめに

 私は、2018年に弁護士法人を設立し、それと同時に個人事業を廃止しました。

 その主たる理由は、消費税の納税を2年間繰り延べしたかったから*1なのですが(笑)、それ以外にも個人事業の所得金額が増えてきたことによって、法人を設立したほうが課税上のメリットがあるのではないかと考えたためでした。

 そして、顧問税理士に課税シミュレーションのソフトを開発してもらい、検討したところ、その当時の所得金額でも十分に課税上のメリットが見込まれることがわかり、さらには所得金額が増えていけばいくほどメリットが大きくなることがわかりました。

 そこで、支店設立の予定などはありませんでしたが、法人成りに踏み切った次第です。

 

 その後、私は5年間にわたって弁護士法人を運営してきましたが、思ったとおりの課税上のメリットを享受してきました。そのポイントは以下のとおりです。

Point!

  1. 所得税は、課税所得が900万円を超えると税率33%、課税所得が1800万円を超えると税率40%というように税率が上がっていく(累進課税制度*2)。そのため、課税所得が900万円を超えたあたりで法人税等との税率の逆転が生じる
  2. そこで、法人を設立することにより、高額の所得税負担を回避することができる。なお、法人設立後、自分は役員報酬として給与所得を得る立場となるが、これには給与所得控除が適用されるため、個人事業主の時代よりも所得税・住民税の金額は安くなる。

 

具体的な計算をしてみよう

 抽象的に説明しても伝わらないと思いますので、何はともあれ計算してみましょう。

 その際、売上高を3000万円5000万円2000万円のパターンで検討し、役員報酬額についても場合分けしました。

 なお、計算の前提条件は以下のとおりとしました。

 

  • 弁護士法人、個人事業の場合とも、代表弁護士は東京都弁護士国民健康保険組合に加入しているものとします(したがって、健康保険料には差が生じないものとします。)。なお、健康保険料の金額は、40歳未満の組合員1人+40歳未満の家族2人として計算しました。
  • 代表弁護士は、弁護士法人の場合には厚生年金保険、個人事業の場合には国民年金に加入しているものとします。
  • 弁護士法人には法人会費がかかります。その金額は単位会によって異なりますが、本記事では私の所属する千葉県弁護士会の定める金額を基準としました。なお、社員(役員)数は1人を前提としています。
  • 代表弁護士には配偶者がおり、配偶者控除の要件を満たしているものとしました。
  • その他事業に要する必要経費は、一律に売上高の3割と仮定しました。
  • 弁護士法人の資本金額は1000万円未満としました。

 

売上高3000万円の場合

 まず、売上高3000万円の場合を以下に示します。

 

A.弁護士法人

 

月額70万円

月額100万円

月額150万円

法人の売上高(年間)

3000万円

3000万円

3000万円

役員報酬(年間)

840万円

1200万円

1800万円

年金保険料(事業主負担分)

71万3700円

71万3700円

71万3700円

法人会員の弁護士会費

11万7360円

11万7360円

11万7360円

上記以外の必要経費(年間)

900万円

900万円

900万円

消費税(売上高÷1.1*0.05)

136万3600円

136万3600円

136万3600円

法人の税引前純利益

1040万5340円

680万5340円

80万5340円

法人税等

284万4700円

166万2600円

25万0000円

法人の純利益

756万0640円

514万2740円

55万5340円

 

 

 

 

役員報酬(年間)…a

840万円

1200万円

1800万円

健康保険料(弁護士国保)…b

66万2400円

66万2400円

66万2400円

年金保険料(個人負担分)…c

71万3700円

71万3700円

71万3700円

給与所得控除

-194万円

-195万円

-195万円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

配偶者控除

-38万円

-38万円

-38万円

役員の所得

470万3900円

781万3900円

1381万3900円

所得税…d

52万4000円

118万5000円

308万6000円

住民税…e

47万4000円

78万5000円

138万5000円

役員の手取り額(a-b-c-d-e)

602万5900円

865万3900円

1215万2900円

 

 

 

 

法人の純利益+役員の手取り額

1358万6540円

1379万6640円

1270万8240円

 

B.個人事業

個人事業の売上高(年間)…a

3000万円

必要経費(年間)…b

900万円

個人事業税…c

90万5000円

消費税(売上高÷1.1*0.05)…d

136万3600円

健康保険料(弁護士国保)…e

66万2400円

国民年金保険料…f

19万8240円

基礎控除

-48万円

配偶者控除

-38万円

青色申告特別控除

-65万円

所得

1636万0760円

所得税…g

394万4000円

住民税…h

164万0000円

個人事業主の手取り額(a-b-c-d-e-f-g-h)

1228万6760円

 

 以上の計算によれば、役員報酬がいずれの金額の場合でも、「A.法人の純利益+役員の手取り額」が「B.個人事業主の手取り額」を上回りました

 その差は、役員報酬が月額150万円の場合で約42万円役員報酬が月額70万円の場合で約130万円役員報酬が月額100万円の場合で約151万円となりました。

 なお、弁護士法人の場合には、厚生年金による年金積立額が個人事業の場合と比べて+122万9160円ありますので、実質的な差は更に大きくなるといえます。

 

売上高5000万円の場合

 次に、売上高5000万円の場合を示します。なお、役員報酬の月額によって課税上のメリットがどのように変化するかを詳しく見るため、月額100万円、150万円、200万円、250万円の4パターンで検討してみます。

 

A.弁護士法人

 

月額100万円

月額150万円

月額200万円

月額250万円

法人の売上高(年間)

5000万円

5000万円

5000万円

5000万円

役員報酬(年間)

1200万円

1800万円

2400万円

3000万円

年金保険料(事業主負担分)

71万3700円

71万3700円

71万3700円

71万3700円

法人会員の弁護士会費

11万7360円

11万7360円

11万7360円

11万7360円

上記以外の必要経費(年間)

1500万円

1500万円

1500万円

1500万円

消費税(売上高÷1.1*0.05)

227万2700円

227万2700円

227万2700円

227万2700円

法人の税引前純利益

1989万6240円

1389万6240円

789万6240円

189万6240円

法人税等

633万7700円

412万9500円

193万3800円

49万4300円

法人の純利益

1355万8540円

976万6740円

596万2440円

140万1940円

 

 

 

 

 

役員報酬(年間)…a

1200万円

1800万円

2400万円

3000万円

健康保険料(弁護士国保)…b

66万2400円

66万2400円

66万2400円

66万2400円

年金保険料(個人負担分)…c

71万3700円

71万3700円

71万3700円

71万3700円

給与所得控除

-195万円

-195万円

-195万円

-195万円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

配偶者控除

-38万円

-38万円

-38万円

-38万円

役員の所得

781万3900円

1381万3900円

1981万3900円

2581万3900円

所得税…d

118万5000円

308万6000円

523万7000円

768万7000円

住民税…e

78万5000円

138万5000円

198万5000円

258万5000円

役員の手取り額(a-b-c-d-e)

865万3900円

1215万2900円

1540万1900円

1835万1900円

 

 

 

 

 

法人の純利益+役員の手取り額

2221万2440円

2191万9640円

2136万4340円

1975万3840円

 

B.個人事業

個人事業の売上高(年間)…a

5000万円

必要経費(年間)…b

1500万円

個人事業税…c

160万5000円

消費税(売上高÷1.1*0.05)…d

227万2700円

健康保険料(弁護士国保)…e

66万2400円

国民年金保険料…f

19万8240円

基礎控除

-48万円

配偶者控除

-38万円

青色申告特別控除

-65万円

所得

2875万1660円

所得税…g

888万7000円

住民税…h

287万9000円

個人事業主の手取り額(a-b-c-d-e-f-g-h)

1849万5660円

 

 以上の計算でも、「A.法人の純利益+役員の手取り額」は「B.個人事業主の手取り額」を常に上回りました

 なお、その差は役員報酬が月額100万円の場合で最も大きく(約372万円)、月額250万円の場合で最も小さくなりました(約126万円)。単に課税上のメリットについて言えば、役員報酬は月額100万円前後に設定するのがよいと言えるのかもしれません*3

 

売上高2000万円の場合

 最後に、売上高が少ない場合はどうなるかを見てみましょう。

 

A.弁護士法人

 

月額70万円

月額100万円

法人の売上高(年間)

2000万円

2000万円

役員報酬(年間)

840万円

1200万円

年金保険料(事業主負担分)

71万3700円

71万3700円

法人会員の弁護士会費

11万7360円

11万7360円

上記以外の必要経費(年間)

600万円

600万円

消費税(売上高÷1.1*0.05)

90万9000円

90万9000円

法人の税引前純利益

385万9940円

25万9940円

法人税等

93万3800円

12万7700円

法人の純利益

292万6140円

13万2240円

 

 

 

役員報酬(年間)…a

840万円

1200万円

健康保険料(弁護士国保)…b

66万2400円

66万2400円

年金保険料(個人負担分)…c

71万3700円

71万3700円

給与所得控除

-194万円

-195万円

基礎控除

-48万円

-48万円

配偶者控除

-38万円

-38万円

役員の所得

470万3900円

781万3900円

所得税…d

52万4000円

118万5000円

住民税…e

47万4000円

78万5000円

役員の手取り額(a-b-c-d-e)

602万5900円

865万3900円

 

 

 

法人の純利益+役員の手取り額

895万2040円

878万6140円

 

B.個人事業

個人事業の売上高(年間)…a

2000万円

必要経費(年間)…b

600万円

個人事業税…c

55万5000円

消費税(売上高÷1.1*0.05)…d

90万9000円

健康保険料(弁護士国保)…e

66万2400円

国民年金保険料…f

19万8240円

基礎控除

-48万円

配偶者控除

-38万円

青色申告特別控除

-65万円

所得

1016万5360円

所得税…g

185万6000円

住民税…h

102万0000円

個人事業主の手取り額(a-b-c-d-e-f-g-h)

879万9360円

 

 この場合にも、役員報酬の月額によっては「A.法人の純利益+役員の手取り額」が「B.個人事業主の手取り額」を上回ることがわかります。また、年金積立額まで考慮するのであれば、常にメリットが生じるとも言えそうです。

 よって、概ね売上高2000万円を境に法人設立による課税上のメリットが生じる(裏を返せば、売上高2000万円を将来にわたって下回ることがないと予想されるのであれば、すぐにでも法人成りしたほうがよい!と言って差し支えなさそうです。

 

まとめ

 今回の記事では、弁護士法人を設立することによる課税上のメリットについて説明しました。

 なぜかこれまで、「弁護士法人は節税にはならない」という話が通説としてまかり通っていたように思われます。しかし、自分の手と頭で計算してみることにより、そのような言説が疑わしいことがわかるかと思います。

 仮に年間の節税額が100万円だとして、この先弁護士業を30年間続けるならば、節税の総額は3000万円にもなります。そして、売上高や役員報酬の金額によっては、節税額は更に大きなものとなります。

 そのため、こう言っては大げさかもしれませんが、私は、弁護士法人は弁護士のマネープランの切り札だと思っています。

 本記事が、皆さんが弁護士法人の価値を再考するきっかけとなれば幸いです。

 

 

*1:当時は、インボイス制度がなかったため、一定の条件はあるものの、法人を設立することによって消費税の納付を最大2年間免れることができました。

*2:

No.2260 所得税の税率|国税庁

*3:その理由は、やはり所得税の税率が課税所得900万円を境に大きく上がるからだと思われます。

弁護士の就職は、労働契約(給与所得)と業務委託契約(事業所得)のどちらが得か?

はじめに

 弁護士が法律事務所に就職する場合、その待遇は大きく分けて労働契約(給与所得)の形態業務委託契約(事業所得)の形態があります*1。そして、どちらの契約形態を取るかによって、勤務弁護士の手取りやその他の待遇には多かれ少なかれ差異が生じると理解されてきました。

 ところが、私の知る限り、これまで具体的な金額等を示した上で両契約形態の差異を検討した記事、書籍等は存在しなかったと思います。

 そこで、本記事では、一年目の弁護士の月給(報酬)額として採用されることの多い月額30万円~50万円の幅で、両契約形態の差異を検討してみました。なお、かかる計算は種々の前提条件によって変動しますが、本記事では以下の前提条件に基づいて計算を行いました。

 

  • 弁護士会費は、いずれの場合でも事務所が負担しているものとする。
  • 労働契約の場合、勤務弁護士は被用者保険(全国健康保険協会)、厚生年金保険及び雇用保険に加入しているものとする。これに対し、業務委託契約の場合、勤務弁護士は東京都弁護士国民健康保険組合と国民年金(基礎年金)に加入しているものとする。
  • 勤務弁護士の年齢は30歳未満であり、配偶者は無し、被扶養者もいないものとする。
  • 必要経費の多寡は勘案しないこととした。なぜなら、労働契約(給与所得)の場合であっても、勤務弁護士は同時に個人事業主という側面を持つため、通常の給与所得者とは異なり、(事業所得の計算において)必要経費を計上することが可能だからである*2。そのため、「業務委託契約(事業所得)は必要経費を自由に計上できるから節税に有利」という言説は成り立たない。
  • 勤務弁護士は、適格請求書(インボイス)発行事業者であり、消費税を負担するものとする。なお、令和8年までは、いわゆる「2割特例」の適用を受けるものとする。
  • 労働契約について、時間外手当や休日手当は勘案しないこととした。
  • なお、稀に契約形態は業務委託であるが、支給は給与所得という事務所*3も存在する。しかし、そのような形態は本記事の対象とはしない(すなわち、労働契約の場合は給与所得、業務委託契約の場合は事業所得であることを前提に検討を進める。)。

 

結論を先出し

 さて、先に結論を述べておくと、少なくとも経済的な観点で見る限り、月給(報酬)額が同じであるならば、労働契約(給与所得)のほうが得といえます。

 ポイントは以下のとおりです。

Point!

  1. 労働契約(給与所得)には、給与所得控除があるため、課される所得税・住民税が低くなる(なお、個人事件を扱う場合は、給与所得控除と同時に、事業所得について青色申告特別控除を併用することができる。)。
  2. 業務委託契約(事業所得)には、消費税と個人事業税が課されるため、労働契約(給与所得)と比べて支払う税金の総額が高くなる。
  3. 労働契約(給与所得)の場合、厚生年金保険料は労使折半となる。つまり、半分の自己負担額で老後の資産形成をすることができる
  4. 労働契約(給与所得)の場合、産前産後休業、育児休業、失業保険、労災保険といった法定福利厚生制度を利用することができる。

 

契約形態ごとの手取り額を計算

 では、両契約形態において、具体的な手取り額はどのように変化するのでしょうか?

 まずは、業務委託契約(事業所得)の場合を以下に示します。

 

A.業務委託契約

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

年収

360万円

420万円

480万円

540万円

600万円

所得

192万0160円

252万0160円

312万0160円

372万0160円

432万0160円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

青色申告控除

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

健康保険料

35万1600円

35万1600円

35万1600円

35万1600円

35万1600円

年金保険料

19万8240円

19万8240円

19万8240円

19万8240円

19万8240円

所得税

9万8000円

15万8000円

21万9000円

32万3000円

44万6000円

住民税

20万2000円

26万2000円

32万2000円

38万2000円

44万2000円

消費税

7万2000円

8万4000円

9万6000円

10万8000円

12万0000円

※令和9年以降

(18万0000円)

(21万0000円)

(24万0000円)

(27万0000円)

(30万0000円)

個人事業税

3万5000円

6万5000円

9万5000円

12万5000円

15万5000円

手取り額

264万3160円

308万1160円

351万8160円

391万2160円

428万7160円

 

 

 これに対し、労働契約(給与所得)の場合は以下のようになります。

 

B.労働契約

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

年収

360万円

420万円

480万円

540万円

600万円

所得

143万1341円

180万6329円

219万8219円

262万3912円

299万8900円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

給与所得控除

-116万円

-128万円

-140万円

-152万円

-164万円

健康保険料

17万7659円

21万3191円

24万2801円

26万0568円

29万6100円

年金保険料

32万9400円

39万5280円

45万0180円

48万3120円

54万9000円

雇用保険料

2万1600円

2万5200円

2万8800円

3万2400円

3万6000円

所得税

7万1000円

9万0300円

12万2300円

16万4800円

20万2300円

住民税

15万3000円

19万0600円

22万9800円

27万2300円

30万9800円

手取り額

284万6741円

328万5429円

372万6119円

418万6812円

460万6800円

 

 

 そして、上記の計算結果を基に、両者の差異を示しました。

 

◎両者の差異

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

B-A

20万3581円

20万4269円

20万7959円

27万4652円

31万9640円

B-A

※令和9年以降

31万1581円

33万0269円

35万1959円

43万6652円

49万9640円

B-A

※令和9年以降

※年金積立額を考慮

77万2141円

※うち年金積立差額:46万0560円

92万2589円

※うち年金積立差額:59万2320円

105万4079円

※うち年金積立差額:70万2120円

120万4652円

※うち年金積立差額:76万8000円

139万9400円

※うち年金積立差額:89万9760円

 

 月額40万円の例で示すと、「労働契約の手取額(B)」-「業務委託契約の手取り額(A)」は20万7959円となりました。

 もっとも、上記の差額は、適格請求書(インボイス)発行事業者に「2割特例」が適用される令和8年までのものです。そして、令和9年以降、消費税の負担額が上がる結果、上記の差額は35万1959円となります。

 さらに、上記の差額は、年金積立額の差異を考慮に入れたものではありません。すなわち、業務委託契約の場合、年金は国民年金(基礎年金)しか積み立てていないのに対し、労働契約の場合、厚生年金保険料(従業員負担分)としてより多くの金額を積み立てていると同時に、事業主(法律事務所)も同額の厚生年金保険料(事業主負担分)を積み立ててくれています。そして、その差額は、月額40万円の月給(報酬)額の例で70万2120円にもなります*4

 

 

個人事件所得がある場合には更に差額が拡大

 加えて、勤務弁護士に個人事件所得がある場合には、更に手取りの差額が拡大します。なぜなら、労働契約(給与所得)の場合には、給与所得控除と青色申告特別控除を併用することができるのに対し、業務委託契約(事業所得)の場合には青色申告特別控除しか利用することができないからです。

 仮に、勤務弁護士に個人事件所得200万円があるとして、以下の計算を行いました。

 

A.業務委託契約(+個人事件所得200万円)

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

年収

560万円

620万円

680万円

740万円

800万円

所得

392万0160円

452万0160円

512万0160円

572万0160円

632万0160円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

青色申告控除

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

健康保険料

35万1600円

35万1600円

35万1600円

35万1600円

35万1600円

年金保険料

19万8240円

19万8240円

19万8240円

19万8240円

19万8240円

所得税

36万4000円

48万7000円

60万9000円

73万2000円

85万4000円

住民税

40万2000円

46万2000円

52万2000円

58万2000円

64万2000円

消費税

11万2000円

12万4000円

13万6000円

14万8000円

16万0000円

※令和9年以降

(28万0000円)

(31万0000円)

(34万0000円)

(37万0000円)

(40万0000円)

個人事業税

13万5000円

16万5000円

19万5000円

22万5000円

25万5000円

手取り額

403万7160円

441万2160円

478万8160円

516万3160円

553万9160円

 

B.労働契約(+個人事件所得200万円)

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

年収

560万円

620万円

680万円

740万円

800万円

所得

278万1341円

315万6329円

354万8219円

397万3912円

434万8900円

基礎控除

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

-48万円

給与所得控除

-116万円

-128万円

-140万円

-152万円

-164万円

青色申告控除

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

-65万円

健康保険料

17万7659円

21万3191円

24万2801円

26万0568円

29万6100円

年金保険料

32万9400円

39万5280円

45万0180円

48万3120円

54万9000円

雇用保険料

2万1600円

2万5200円

2万8800円

3万2400円

3万6000円

所得税

18万4000円

22万3000円

28万8000円

37万5000円

45万2000円

住民税

28万8000円

32万6000円

36万5000円

40万7000円

44万5000円

消費税

4万0000円

4万0000円

4万0000円

4万0000円

4万0000円

※令和9年以降

(10万0000円)

(10万0000円)

(10万0000円)

(10万0000円)

(10万0000円)

個人事業税

0円

0円

0円

0円

0円

手取り額

455万9341円

497万7329円

538万5219円

580万1912円

618万1900円

 

◎両者の差異

 

月額30万円

月額35万円

月額40万円

月額45万円

月額50万円

B-A

52万2181円

56万5169円

59万7059円

63万8752円

64万2740円

B-A

※令和9年以降

63万0181円

69万1169円

74万1059円

80万0752円

82万2740円

B-A

※令和9年以降

※年金積立額を考慮

109万0741円

※うち年金積立差額:46万0560円

128万3489円

※うち年金積立差額:59万2320円

144万3179円

※うち年金積立差額:70万2120円

156万8752円

※うち年金積立差額:76万8000円

172万2500円

※うち年金積立差額:89万9760円

 

 月額40万円の例で見ると、手取りの差額は年間で約60万円(ひと月あたり約5万円)、年金積立額まで考慮した場合には年間で約144万円(ひと月あたり約12万円)の差が生じる結果となりました。

 

まとめ

 就職活動の段階では、額面の給与(報酬)金額を見て何となく就職先事務所を決める方が多いのかもしれません。

 しかし、社会に出て実感するのは、経済的な豊かさというのは額面の給与(報酬)金額では決して決まらないということです。すなわち、本記事に述べた税金・社会保険や、金融投資、社会制度の活用、さらには私生活の安定といった様々な要素を統合したマネープランを組み立てることによって、初めて経済的な豊かさを得ることができます。

 就職は、皆さんがそのような経済的な豊かさを実現するための第一歩です。皆さんが事務所側の事情に翻弄されることなく、各々最適な就職先を見つけられることを切に願っています。

 

 

*1:厳密に言えば、独立採算のパートナー(「ノキ弁」ともいいます。)として事務所に所属する形態も存在します。しかし、かかる形態は、本記事で比較の対象とするものではありませんので、詳しい説明は割愛します。

*2:そして、仮に事業所得が赤字(損失)の場合には、損益通算によって給与所得を減らすことができる。

*3:「業務委託」のため、健康保険、厚生年金等の法定福利厚生はない。

*4:公的年金に対する信頼は人それぞれだとは思いますが、ひとまず本記事では、納めた年金保険料の1/1が将来返ってくる(納めた年金保険料の1/1が資産である)ことを前提に論じています。

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勤務弁護士の成長に対する支援(「ボス弁」論「第3 育成論」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 初期教育の重要性

 以上のように勤務弁護士のやる気を削がないような心掛けをした上で、彼らに対して適切な支援をしていくことになる。その際にまず重要となるのは、入所後すぐに行う初期教育である。

 これはなぜかというと、弁護士としての職業生活をスタートした直後の時期は、先入観がなく、教えたことを素直に守ってくれる可能性が高いからである。そのため、「ボス弁」として最低限教えたいことがあるのであれば、この時期を逃さずに教えるべきである。

 

 

 また、裏を返せば、この初期教育の時期を除いて、「ボス弁」は勤務弁護士に対してできるだけ「教育」や「指導」はしないほうがよい。なぜなら、「教育」や「指導」は多かれ少なかれ勤務弁護士のやる気を削ぐことに繋がるからである。

 

⑵ OJTを効果的に行う方法

ア 徒弟制において取られてきた3つの手法

 さて、次にOJT(On-the-Job Training)において「ボス弁」がどのような行動をするかについて検討していきたい。

 これには色々な考えがあり得ると思うが、私は学習科学の見地に基づいて、徒弟制において伝統的に取られてきた次の3つの方法を採用している。それは「足場かけ」、「コーチング」、「モデリング」である[1]

イ 足場かけ

 まず、足場かけとは、弟子たちが自分たちで行うべきことを失敗せずに行えるように、師匠が提供する手助けや道具を指す。

 弁護士の育成において、この足場かけの一つが書面のひな形(サンプル)の提供である。つまり、勤務弁護士に訴状や準備書面その他の書面を作成させる際に、参考となる過去の書面を提供してあげることである。これによって、勤務弁護士は一から書面の構成を考えずに済むので、経験が浅くとも一定のアウトプットを出せるようになる。

 ところで、このひな形(サンプル)の提供は決して楽な作業ではない。なぜなら、それを可能とするためには、ボス弁自身が当該事案の構造を理解するとともに、過去の書面の中から適切なサンプルを引き出してこなければならないからである。

ウ コーチング(1on1ミーティング)

 次に、コーチングとは、弟子が自分で試行錯誤しているときに、師匠が適宜どのようにしたらよいのか、何に気をつけるべきかを教えてあげることを指す。このコーチングを行う仕組みとして、私は一日一回の1on1ミーティングを行っている。

 弊所の場合、1on1ミーティングは原則として午前中に行うこととしている。時間は5~10分を目安としているが、話題が多いときは全てが解決するまで何分でも続ける。肝心なのは、ボス弁が喋るのではなく、勤務弁護士に多く喋らせることである。そこで、私は大抵「どうでしょうか?」といった簡易な質問を投げかけ、あとは勤務弁護士に話したい話題を話してもらっている。なお、話題のほとんどは具体的な事件の相談や確認である。

 1on1ミーティングの効用として私が実感しているのは、コミュニケーションの量・質の向上である。

 つまり、1on1ミーティングを実施しない場合、ボス弁と勤務弁護士とのコミュニケーション量は偶然に左右される。そして、仮に勤務弁護士が控えめな人であった場合、ボス弁とのコミュニケーション量は少なくなってしまいがちである。これに対し、毎日欠かさず1on1ミーティングを行うようにすると、ボス弁と勤務弁護士とのコミュニケーションを仕組みによって確保することができる。

 また、勤務弁護士の話を聴く時間を設けることによって、コミュニケーションの質が向上する。深いコミュニケーションの態様として「対話」というものがあるが、対話において最も重要なのはまず相手の話を聴くことである[2]。そのため、1on1ミーティングを通じてボス弁が勤務弁護士の話を聴くことは、両者の間に対話を成立させることになる。そして、ひとたび対話が成立すると、勤務弁護士はボス弁の言うことも聴いてくれるようになる。

エ モデリング

 最後に、モデリングとは、師匠が弟子に対し「どうすればよいのかを見せてあげること」を指す。これによって弟子は、どうならなくてはいけないか(学びの目標)とそのために何をするのか(必要となる知識や技能)を全体として把握することができるとされている。

 モデリングにおいて重要なのは、近すぎず遠すぎない程よい距離感であると考える。すなわち、ボス弁と勤務弁護士の部屋が別室であるなど距離が遠すぎると、勤務弁護士はボス弁がどのように仕事をしているのかを見ることができないため、モデリングが成立しない。これに対して、距離が近ければいいというものでもない。なぜなら、モデリングには学び手側の内省が欠かせないが、ボス弁との距離が近すぎると勤務弁護士はプレッシャーを感じて内省を深めることができないからである。

 これは書面への添削を通じてモデリングを行う際にも妥当する。勤務弁護士の作成した書面に対して、ボス弁がいわゆる「朱入れ」をすることは重要である。しかし、その際に教えようとし過ぎるとしばしば逆効果になることがある。勤務弁護士が萎縮してしまうのである。そのため、ボス弁としては、「朱入れ」をしつつ、勤務弁護士にそれを読んでもらい、質問があれば答えるという程度にとどめたほうが良いこともある。

 

 

[1] 大島純ほか『主体的・対話的で深い学びに導く 学習科学ガイドブック』(北大路書房

[2] 泉谷閑示『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)

基本的な心掛け(「ボス弁」論「第3 育成論」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 勤務弁護士のやる気を削がないことが最も重要である

 さて、次に育成論について話を進めていこうと思う。

 といっても、採用に成功し、段階4(自己主導段階)以上の人を採用することができていれば、実は育成に関してはさほどやることはない。なぜなら、段階4(自己主導段階)以上の人材とは自律的に行動ができる人のことであり、極端な話、放っておいたとしても成長していく[1]からである(ただし、丸投げの体制に嫌気が差して辞めていくかもしれないが。)。

 そこで、段階4(自己主導段階)以上の人材に対する育成においては、やる気を削がないことが最も重要であり、それに付随していくつかの支援をすることになる。

 

⑵ 自分の新人時代と比較することに何ら意味はない

ア 「ボス弁」に成りたての人がやってしまいがちなこと

 この点、「ボス弁」に成りたての人がやってしまいがちなのは、勤務弁護士の一挙手一投足をチェックして、自分の新人時代と比較してしまう(そして時に叱る)ことである。これは私も散々やってしまったし、今でもやってしまうことがある(叱ることはないが)。

 しかし、言うまでもないが、そうした行動は勤務弁護士のやる気を大きく削ぐことになる。

イ 前提条件が異なる

 そもそも、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較することは、論理的に見ても妥当ではないといえる。なぜなら、自分の新人時代と今とでは業界の置かれた状況が異なるし、仕事の仕方自体も変わってきている。また、自分が新人時代に扱っていた事件と自分が現在勤務弁護士に扱わせている事件とでは、その性質(分野、単価、難易度、解決までの所要期間、事務職員や関係者の支援の有無等)が多かれ少なかれ異なるはずである。

 このように前提条件が異なるため、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較することはおよそ不可能なのである。

ウ 結局「マウンティング」以上の意味はない

 それにもかかわらず、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較してしまうのは、自分が人より優秀であると思いたい「エゴ」の作用にほかならない。すなわち、勤務弁護士に対して「マウンティング」をすることによって、自分のエゴを守ろうとしているのである。

 勤務弁護士の成長や事務所の利益よりも自分のエゴを守ることが重要なのであればそれでもよいだろう。しかし、もしそうでないのなら、ボス弁は自らのエゴを直視し、マネジメントできなければならない。

 

⑶ 「自分でやったほうが早い」は実は遅い

 また、「ボス弁」に成りたての人にありがちなのは、勤務弁護士の仕事が非効率だったり訂正が多いのを見て、「自分でやったほうが早い」と考えて仕事を抱えてしまうことである。ところが、このようなことを繰り返していると、勤務弁護士はボス弁に任せたほうが早いし楽だと考え、成長意欲を失ってしまうことになる。

 それに加えて、一人の弁護士が抱えることのできる仕事量は思った以上に少ないのである。それにもかかわらず、ボス弁がたくさんの仕事を抱えてしまっては、事務所全体の仕事に遅延が生じることは明らかである。

 そのため、仮に「自分でやったほうが早い」と思う仕事があったとしても、全体最適を考え、それを勤務弁護士に任せる態度こそが「ボス弁」の取るべき態度ではないかと思う。

 

 

[1] これを学習科学の分野では「自己調整学習」という。

採用基準の具体例(「ボス弁」論「第2 採用論」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

 上記を前提として、如何にして段階4(自己主導段階)以上の人を選考するか。

 完全な採用基準は永遠に未完であるが、少なくとも現時点で私は次のように考えている。

 

⑴ その人の半生をインタビューする

 まず、成人発達理論では、各発達段階に対応する意識構造を判定するためには、その人が「どういう言葉をどんなふうに使っているか」に着目することが重要とされている。そして、それを判定するためには、採用面接において事前対策が難しい話をしてもらうことが有効である。その一環として、私は、候補者に対し、その人の半生をインタビューすることにしている。

 具体的には、

・これまでに何かに没頭した経験があるか

・大学時代、法律の勉強以外に何をしていたか

・どんな子どもだったか

・親友と呼べる人はいるか

・恩師と呼べる人はいるか

・いつ、どんなきっかけで弁護士を志したのか

などを、その人自身の言葉で語ってもらうことにしている。

 その上で、次に述べる着眼点でその人の意識構造(段階4に達しているか否か)を見るように心掛けている。

 

⑵ 着眼点

ア 言葉の選び方

 まず見るべきはその人の言葉の選び方である。特に、語彙の豊富さ言語化能力を通じて発達段階に影響するとされている。

 また、いわゆる「借り物の言葉」を多用する人は段階3(他者依存段階)以下であることが推認される。これに対し、仮に訥弁であったとしても、伝えたいことを自分の言葉で表現しようとする人は段階4(自己主導段階)の特徴を備えていると考えられる。

 加えて、「事実」を中心に話をすることができる人も、内省が深いという意味で段階4(自己主導段階)以上である可能性が高いと考える。

イ 話の構造

 次にその人がどのような構造で話をしているかを見る。

 例えば、「いつ、どんなきっかけで弁護士を志したのか」と質問したときに、「中学生の時」(いつ)、「ドラマを観て」(きっかけ)という答えが返ってきたとする。もちろんその回答自体は問題ない。しかし、私が聞きたい部分はそこではないので、次のような質問を続けてするようにしている。

 

・どうして弁護士の仕事に魅力を感じたんですか

・あなたはその当時どんな学生でしたか

・どのような弁護士になろうと思いましたか

・弁護士を志してからあなたの行動にどのような変化がありましたか

 

 つまり、候補者が弁護士を志したことを、自分の半生の中でどのように意味づけているかこそが重要ということである。そのような問いに対して、不完全ながらも真正面から答えようとする人は段階4(自己主導段階)以上である可能性が高いと考える。なぜなら、意味を構築する能力は段階4(自己主導段階)の特徴の一つだからである。

 また、他者とのエピソードが出てくるかも重要である。つまり、どのような人生経験であれ、人が自分一人の力で成し遂げるものなど一つもない。そのため、例えば司法試験合格といった成功体験の理由を尋ねたときに、「友人のこんなアドバイスを聞いて勉強法を変えた」とか「恩師から厳しい指摘をされて目が覚めた」などの他者とのエピソードがないかを聞くようにしている。そのような他者の貢献を的確に認識できる人は、自分を俯瞰して見ることができており、段階4(自己主導段階)を超えて段階5(自己変容段階)の特徴を備えているといえる。

成人発達理論に基づく採用基準の策定(「ボス弁」論「第2 採用論」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 成人発達理論とは

 さて、ここからは具体的な採用論に入っていこう。

 先に「他者は変わらない」のだとすれば、あなたの雇用する相手は最初からあなたの条件とする「基準」を満たした人でなければならないと述べた。ここでいう採用基準を如何にして構築するかが採用論の肝である。

 優秀な弁護士を雇用するための採用基準とはどのようなものであろうか。

 真っ先に思い浮かぶのは、「司法試験に上位で合格していること」や「若くして(飛び級で)司法試験に合格していること」、「入試偏差値の高い大学を卒業していること」などかもしれない。しかし、そのような人は、有名事務所に就職したり、裁判官や検察官になることが多いため、私のような若年の弁護士が経営する零細事務所には入ってこない。

 そのため、弊所のような事務所が優秀な弁護士を採用するためには、上記のような(万人受けする)基準とは異なる採用基準を打ち立てる必要がある。その基礎となる理論(仮説)が「成人発達理論」である。

 

 「成人発達理論」とは、(乱暴に要約するならば)人の意識は成人してからも発達を続け、一定の「発達段階」を登っていくという理論のことである。

 そして、論者によって定義は異なるものの、同理論によれば人には概ね次の「発達段階」が存在するとされている。

 

発達段階

特徴と限界

段階1

(具体的思考段階)

特徴:具体的な事物を頭に思い浮かべて思考することができる。

限界:形のない抽象的な概念を扱うことができない。

段階2

(道具主義的段階)

特徴:自分と他者とを区別した二元的な思考をすることができる。

限界:自分の関心事項や欲求を満たすことに焦点が当てられており、他者の感情や思考を理解することが困難。

段階3

(他者依存段階)

特徴:相手の立場に立って物事を考えることができる。

限界:自分の意思決定基準を持っておらず、他者(組織や社会を含む)の基準によって自分の行動を規定する。

段階4

(自己主導段階)

特徴:自分なりの価値体系や意思決定基準を構築することができるようになり、自律的に行動ができる。

限界:自分独自の価値観と同一化しているがゆえに、異なる価値観に基づいた考えや意見を持った他者を許容できない。

段階5

(自己変容段階)

特徴:自分の価値観に横たわる前提条件を考察し、深い内省を行いながら、既存の価値観や認識の枠組みを壊し(脱構築)、新しい自己を作り上げていくことができる。また、他者の成長を支援することによって自分も成長するという認識(相互発達)があり、他者と価値観や意見を共有し合いながら、コミュニケーションを図ることができる。

限界:その時点における未知。

※加藤洋平『組織も人も変わることができる! なぜ部下とうまくいかないのか「自他変革」の発達心理学』(日本能率協会マネジメントセンター)より

 

⑵ プロフェッショナルの仕事は段階4(自己主導段階)以上が前提

 さて、成人発達理論においては、主体的・自律的な行動が求められるプロフェッショナルの仕事には、段階4の特性が強く求められるとされている。この点は少し重要なので、以下に引用する。

 

私  どういう理由からかと言うと、そうしたプロフェッショナルな仕事に就く人たちには、自律的な行動が求められるのは当然ですが、持論のようなものを形成できる力が必要だと思うのです。確かに、どんな業界にも固有のベストプラクティスが存在していて、それを習得することはプロフェッショナルにとって不可欠だと思います。つまり、最低限の知識や理論を獲得するのはプロフェッショナルとして当然のことだということです。ですが、真の意味でのプロフェッショナルは、そうしたベストプラクティスを超えて、自らの経験をもとに自分なりの考えや理論を生み出すことができると思うのです。

室積 まさにその通りですね。プロフェッショナルと呼べるのか定かではありませんが、段階3のプロフェッショナルは、業界固有のベストプラクティスに盲目的なところがあります。要するに、彼らは業界で浸透している考え方や理論に従順であり、そこに自分なりの知見を加えるということができないのです。その結果として、クライアントは多様性に溢れているのに、画一的なアプローチしかできないということに陥りがちです。それに対して、段階4のプロフェッショナルは、業界固有の考え方や理論を客観的に眺めることができ、さらに自らの経験や考え方と照らし合わせて、独自の持論を構築することができるようになってきます。その結果、業界固有の決まりきったアプローチを鵜呑みにするのではなく、クライアントの特性に応じたアプローチを採用することができるようになってくると思います。

 

※加藤洋平『組織も人も変わることができる! なぜ部下とうまくいかないのか「自他変革」の発達心理学』(日本能率協会マネジメントセンター)より

 

 

 私の経験に照らしても、かかる指摘は真実だと考える。すなわち、段階3(他者依存段階)の人は、前例を欠く事例に直面すると思考停止に陥ってしまう。しかし、弁護士の扱う事件には多かれ少なかれ固有性があり、その意味では全ての事件に前例はないのである。だからこそ、弁護士には、論理と論理を結び付けて自己の主張を構築する思考力(言うまでもなく、これは段階4(自己主導段階)の特徴である。)が求められる。

 また、段階3(他者依存段階)の人は権威に弱い。そのため、裁判官や目上の弁護士から何かを言われると、それを鵜呑みにしてしまうことがしばしばある。しかし、弁護士であれば、相手の言うことが論理的に真であるか否かや自分の依頼者にとって利益であるか否かを分析し、場合に応じて適切な反論(これを「弁護」というのではなかろうか。)をしなければならない。ところが、段階3(他者依存段階)の人にとってこれを理解することは難しく、そのような人にはいわゆる「相場」での解決しかできない。

 したがって、弁護士を雇用する場合には、段階4(自己主導段階)以降の人を採用するように注意しなければならない。

 

⑶ 採用の失敗を育成で取り戻すことは極めて難しい

 もちろん人は成長する。だとすれば、ひとまず段階2(道具主義的段階)や段階3(他者依存段階)の人を採用した上で、その人を段階4(自己主導段階)に育成していけばよいのではないか?

 そのような疑問に対する私の回答は否である。

 なぜなら、成人発達理論によれば、発達段階を1つ登るためには少なくとも数年間を要するとされているからである。しかも、人の発達をその人自身や周囲の他者が無理やり促進することはできないとされており、発達はワインの熟成にも似たゆっくりとしたプロセスを経るとされている。

 以上を前提として、あなたは段階2や段階3の人を弁護士として採用することができるだろうか?その人が段階4(自己主導段階)に達するまでの数年間(場合によっては十数年間)、毎年600万円以上の費用を負担しながら。

他者は変わらない(「ボス弁」論「第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 「期待」をコントロールする

 さて、指導しては元通りにという繰り返しの末に、私は一つの信念に行き着いた。それは、他者は変わらないということである。

 他者は変わらないということの含意については、次項で詳しく述べたいと思う。ここで述べておきたいのは、仮に他者が変わらないとすれば、私たちはどうすればよいのかということである。

 先に、「怒り」という感情は「期待」と「現実」のギャップであると述べた。そして、他者(=「現実」)は、(少なくとも自分の思い通りには)変わらないのである。だとすれば、「怒り」を上手くマネジメントする術は、「現実」ではなく「期待」をコントロールするほかにはない。

 つまり、私たちが苦しくなるのは、「一生懸命伝えれば(指導すれば)人(他者)は変わってくれるはずだ」という期待を持つからにほかならない。しかし、少なくとも私の経験上、かかる期待は幻想に過ぎないのである[1]

 

 私が本稿において述べる「ボス弁」論の核心は、この「人(他者)は変わってくれるはずだ」という期待を「人(他者)は変わらない」という信念に転換させることにある。そして、「他者は変わらない」ことを前提として他者とどのように付き合っていくかということが、後述する「採用論」、「育成論」につながってくる。

 

⑵ 「他者は変わらない」ことの含意

 さて、ここで「他者は変わらない」ことの含意について整理しておこう。

 私の考える含意とは、「基準に満たない人を採用しない」「人は最善を選択している」、「人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ」という3点である。

 

ア 含意①:基準に満たない人を採用しない

 第1の含意は、「基準に満たない人を採用しない」ということである。そして、このことはビジネスのみならず人間関係全般における最重要事項であると考える。

 すなわち、仮に「他者は変わらない」のだとすれば、あなたが付き合うべき相手は最初からあなたの条件とする「基準」を満たした人でなければならない。なぜなら、その他者が事後に「基準」を満たしてくれる保証はないし、実際にそうはならないことが多いからである。

 ところで、夫婦関係においては、結婚前に覚えた違和感はそのままにしてはならないという趣旨の警句が言われることがある。大丈夫だろうと安易に結婚した結果、結婚後に価値観の溝がどんどん広がっていき、離婚に至ってしまう危険があるからである。

 雇用関係も同様だと思う。だからこそ、「ボス弁」は雇用前に採用基準を明確にし、その基準に満たない人を採用しないように注意しなければならない。

 

イ 含意②:人は最善を選択している

 第2の含意は、「人は最善を選択している」ということである。

 「人(他者)が変わらない」のは、決してその人に悪意があるからではない。むしろ、その局面において(あなたの期待どおりには)変わらないことがその人にとっての「最善」策であるからこそ、人は変わらないのである。

 このように考えれば、人を変えようとする行為が如何に無為であるかということに気付くと思う。なぜなら、誰に言われなくても人はその人にとっての「最善」を尽くしているのである。したがって、その人は(少なくともその局面においては)それ以上変わりようがないし、変わる必要もないのである。

 ただし、その人が新人であるような場合には、知識や技術、認識の範囲が不十分であるため、その人にとっての「最善」策が仕事一般における「最善」策と食い違うことが多々ある。しかし、そのような場合であっても、変わるべきはその人自身ではない。むしろ、(「育成論」において述べるとおり)そのときにこそ周囲の人の支援が必要となるのである。

 

ウ 含意③:人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ

 第3の含意は、「人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ」ということである。

 ここでいう「支援」とは、叱ることや「指導」のように、他者を変えようとすることではないということに注意が必要である。すなわち、「支援」とは、人は最善を選択しており、現状ではそれ以上のパフォーマンスを出せないことを前提とした上で、それを超えるパフォーマンスを発揮するための武器(知識や技術、認識の範囲)を提供する行為を指すのである。そして、ここで提供された武器(知識や技術、認識の範囲)を他者が自分のものにしたときにこそ、その人は「成長した」と呼べるのである。

 ただし、提供された武器を取り入れるかどうかは、その人の選択次第ということを忘れてはならない。したがって、支援を受け入れない部下に対して我々上司が腹を立てるのはそもそも見当違いなのである。

 

 

[1] もちろん、何らかの原因で他者が変わることは実際にたくさんある。しかし、私がここで言いたいのは、変わるかどうかは結局その人(他者)次第なのであり、「変わってくれるはずである」という期待を持つことは幻想(あるいは独善)に過ぎないということである。

勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である(「ボス弁」論「第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 勤務弁護士の育成は難しい

 さて、前項では私の失敗談を記したのだが、ふと周りを見渡すと、当業界において同様の事例は数多く聞こえてくる。また、それらの事例の中には、(主に元勤務弁護士の側からの情報であるが)ボス弁からパワハラまがいの「指導」を受けたという話も散見される。

 かつての私であれば、そのような話を聞いたとき、「あり得ないな」(軽蔑)とか「あの先生にもそういう顔があるんだ」(野次馬心理)と思っていた。しかし、今はちょっと違う。

 もちろん、パワハラをはじめとするハラスメントを許すべきでないことは当然である。もっとも、少なくない数のボス弁が勤務弁護士に対して強く当たってしまう理由は、今はわかる気がする。それだけ勤務弁護士を雇用・育成することには難しい部分がある。

 

⑵ 勤務弁護士の雇用・育成が難しい理由

ア 勤務弁護士のパフォーマンスが事務所経営を左右する

 勤務弁護士の雇用・育成が難しい理由としては、いくつかの要因が考えられる。

 まず、弁護士が多数所属している事務所でもない限り、一人の勤務弁護士の発揮するパフォーマンスの高低はその事務所の経営を左右するほどの影響を持つことが挙げられる。

 つまり、勤務弁護士の給与水準は事務職員の倍以上であり、昨今の採用難[1]によってその給与水準は更に上昇傾向にある。これは事務所側から見ると、勤務弁護士の損益分岐点が高まるということであり、仮にこれを超えない場合にはいわゆる「赤字」状態[2]に陥ってしまう。そして、多くの法律事務所はいわば零細企業であるため、勤務弁護士の給与水準によって生じた「赤字」を補填することは容易なことではないのである。

 そのため、ボス弁としては勤務弁護士のパフォーマンスに無関心でいるわけにいかず、指導に熱が入ってしまいがちのように思われる。

イ 無意識の刷り込み

 また、勤務弁護士の雇用・育成が難しいもう一つの理由として、無意識の刷り込みがあるように思われる。

 私が弁護士登録後に就職した事務所のボスは司法修習39期であったが、その世代のボス弁にとって勤務弁護士を叱って指導することは常識と捉えられていたように思う。そのため、私の兄弁(事務所の先輩弁護士)達もかつてボスから厳しい指導を受けていたし、その指導によって成長した自分達を誇りに感じている風もあった。私は、そのような兄弁達を見ていたので、次第にボスから叱られることには抵抗がなくなっていった。

 同様の経験を持つ先生方も多いのではなかろうか[3]

 

 いずれにせよ、私を含め一定数の弁護士は、自分が「叱る指導」を受けて育ったから、何かあると勤務弁護士にもついつい「叱る指導」をしてしまいがちなのではないかと思う。

 

⑶ 「怒り」=「期待」と「現実」のギャップ

 私自身はというと、(あくまで自己評価であるが)勤務弁護士に対して「叱る指導」はあまりしなかったと思う。もっとも、本当は叱りたいのに叱れないことに不満を鬱積したり、時にはその不満が嫌味として漏れ出てしまっていたのだから、大声で勤務弁護士を叱りつけるボス弁と本質は何ら変わらなかったと思う。

 つまり、人が抱く「怒り」という感情は、内心の「期待」と「現実」との間にギャップがあるときに起こるのである。そして、私は勤務弁護士を叱ること自体は少なかったものの、勤務弁護士に一方的な期待をし、勤務弁護士がその期待に応えないことに対して「怒り」を抱いていた。そうした「怒り」の感情こそが、かつて私の抱えていた不満の正体であったと今になって思うのである。

 

⑷ 他者を変えようとする心理

 人が他者を叱るのは、前記の「期待」と「現実」のギャップがあり、怒りを抱くからではないかと思う。そして、そのようなギャップ(そして怒りの感情)に直面したとき、人は「現実」(他者)を「期待」に合わせようとして、他者を叱り、その行動を変えようとするのである。

 私自身、期待に応えない勤務弁護士に対して、「指導」をし、その行動を変えようと何度も試みてきた。そして、そのことは勤務弁護士のためであると思ってきた。

 しかし、結論から言うと、私の「指導」によってその人が成長することはなかった。いや、確かにその場限りの行動が変わることはあったが、少し時間が経つと元通りになるということを何度も繰り返してきた。

 そのような繰り返しは、その人にとってもそうだったであろうが、私にとっても多大な苦痛であった。

 

 そして、結論から言うと、この他者を変えようとする心理の正体は我々の「エゴ」ではないかと思う。そのため、「ボス弁」が勤務弁護士を育成するにあたっては、何よりも自分自身のエゴを見つめ、マネジメントすることができなくてはならない。

 

 

[1] 法曹志望者数の低迷もあり、新人弁護士の数はかつてよりも少なくなっている。これに対して、採用を予定している法律事務所数は増えているため、相対的に買い手市場が続いている。

[2] もちろん、「新人弁護士研修資料」に書いたとおり、「『勤務弁護士が事務所に在籍していることによる利益』とは、専ら客観的に算定できるものではなく、ある程度主観的なもの」である。

[3] 私は司法修習66期であるが、より古い弁護士の時代にはなおさら「叱る指導」が一般的だったと思われる。

「ボス弁」という仕事(「ボス弁」論「第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

 私は、2020年12月に初めて勤務弁護士を雇用して以来、現在まで常時一人以上の勤務弁護士を雇用し、育成してきた。これは私の弁護士としてのキャリアにおいて大きな転換点であった。

 すなわち、私は2013年12月に弁護士登録をし、勤務弁護士を経て独立したが、そのキャリアのいずれにおいても弁護士を雇用し、あるいはその育成に責任を負ったことはなかった。そして、そのような立場でいる間、私は自分の仕事のパフォーマンスを如何に発揮し、向上するかを考えていれば十分だった。

 ところが、いざ勤務弁護士を雇用し、その育成に責任を負うようになると、彼らの仕事のパフォーマンスを高める方法を考えなければならなくなった。そして、勤務弁護士を育てる際には、かつて自分が成功した方法を勧めたり、押し付けたりすることはむしろ有害であり、これまでプレーヤーとして培ってきたのとは異なる能力が求められることとなった。

 私は当初、そのことに気付かずに数々の失敗をしてきた。つまり、「善意」でアドバイスをしているにもかかわらず、勤務弁護士がそのアドバイスを受け入れないことに不満を鬱積したことが幾度となくあった。また、そのような不満を鬱積すればするほどに、勤務弁護士とのコミュニケーションが悪化し、かえって育成は上手くいかなくなっていった。

 そして、勤務弁護士の育成が上手くいかないと、更に不満が鬱積するという悪循環に陥った。また、勤務弁護士のパフォーマンスが向上しないのであるから、自分の抱える業務量が増大する一方、利益は減少するという最悪の状況に陥った。

 

 私は、最初、そのような状況に陥ったことを勤務弁護士のせいにしようとした。しかし、あるときにふと気付いた。その人を採用したのは他でもない自分じゃないかと。[1]

 結局、私は「ボス弁」という仕事のことを全く知らずに「ボス弁」を始めてしまったのである。そのため、採用において失敗をし、育成でも失敗をした。ただそれだけのことである。

 

 そのような反省を経て、私は「ボス弁」という仕事[2]を考察し、その仕事に正面から向き合おうと考えるようになった。そのため、これから記すのは、そのような私の考察の現状における到達点である。

 

 

[1] 「原因自分論」という考え方があるが、正にそのとおりだと思う。

[2] なお、「ボス弁」の定義は多義的であるが、本稿では「一人以上の勤務弁護士を雇用し、育成する責任を負っている弁護士」と定義する。

新人弁護士研修資料 ~前文・目次~

 お久しぶりです。実に3年ぶりのブログ更新となります。

 この間、私の経営する弁護士法人には大きな変化がありました。すなわち、2020年12月に初めての勤務弁護士が加入し、つい先日の2022年4月には二人目の勤務弁護士が加入しました。そして、現在は、弁護士3名の体制で、収益共同のワン・ファームを運営しています。

 さて、弁護士が私一人の時代は、私がいかに効率的に事件処理をしたり、有効な結果を達成するかを考えていれば十分でした。しかし、勤務弁護士を雇用するとなると、彼らに案件を任せるとともに、彼らにも私と同水準の事件処理をしてもらう必要が出てきます。そのため、私は、2020年12月以降、手を変え品を変え、勤務弁護士に対して「期待するスキル・マインド」を解説し、実践して見せ、そして勤務弁護士に実際に仕事をさせてみるということを繰り返してきました。

 本研修資料は、そのような試行錯誤の過程で、私なりに新人の弁護士に伝えたい大切な事項をまとめたものになります。そして、現在、私の弁護士法人では、まず最初に本研修資料を基にした新人研修を行い、その後、実際のOJT(On-the-Job Training)に入ってもらうことにしています。

 今回は、試しにその研修資料の内容をブログに公開し、所外の方々にも読んでいただこうと考えています。そのようにした動機は2つあります。

 第一に、所外の方、特に弁護士実務家の方の批評を通じて、本研修資料の内容が弁護士実務や新人弁護士育成過程の真実(少なくともその一部)を反映しているものなのかどうかを検証したいからです。なぜなら、実際に研修を受ける新人弁護士には、経験値の浅さや私への遠慮等により本研修資料に対する批評が難しいからです。そのため、こうした資料は常にボス弁護士の独りよがりになる危険をはらんでいます。そこで、記事を読まれた弁護士実務家の方には、ぜひ忌憚のないコメントをいただけたらと考えています。

 また、第二に、今回研修資料の内容をブログに公開することにしたのは、仮に弁護士実務家の方の批評を通じて本研修資料の真実性が(少なくとも一定程度)検証されるのであれば、それは他所の新人弁護士やこれから弁護士になろうとする方にとっても有益であるはずだからです。研修資料の中にも書きましたが、私は、一人目の勤務弁護士を雇用することを決めた頃から、自分が身に付けたスキルを後輩弁護士に伝えたいという気持ちを抱くようになりました。そのため、新人弁護士の皆さんやこれから弁護士になろうとする皆さんが、本記事を読むことによって何かしらを得ることができるのであれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。

 

 本研修資料の構成は、「第1 総論 ~弁護士という仕事について~」、「第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~」、「第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~」に分かれています。

 まず「第1」では、「弁護士業も世の中に存在する数多くの仕事のうちの一つに過ぎない」ことを前提とした上で、仕事一般に通じると考える価値観や社会人の成長過程について解説しています。

 次に「第2」では、弁護士業でコアとなるスキル・マインドと考えるものを、各論的に解説しています。

 そして「第3」では、弁護士業に限らず、知的プロフェッショナルとして長期間にわたって活動していくのであれば欠かせないであろう考え方を、補足的に解説しています。

 具体的な目次は以下のとおりです。

 

第1 総論 ~弁護士という仕事について~
1 「仕事」とは何か?
2 弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?
3 期待に応える弁護士になるには

第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~
1 「代理人」としてのあり方
2 弁護士の面接技法
3 弁護士の交渉術
4 法律文書作成

第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~
1 仮説形成と仮説検証が何よりも大切
2 ロジカル・シンキングはあらゆる仕事の基礎
3 「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい

 

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  なお、記事の内容は、あくまで「私の考える仕事の勘所」であり、決してそれらと異なる仕事の方法論や価値観を否定するものではありません。ただし、研修資料としている以上、私の弁護士法人の内部ではその方法論や価値観を透徹したいと思っています。

「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい(第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~)

全体目次

第1 総論 ~弁護士という仕事について~
1 「仕事」とは何か?
2 弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?
3 期待に応える弁護士になるには

第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~
1 「代理人」としてのあり方
2 弁護士の面接技法
3 弁護士の交渉術
4 法律文書作成

第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~
1 仮説形成と仮説検証が何よりも大切
2 ロジカル・シンキングはあらゆる仕事の基礎
3 「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい

 

⑴ 今後40年間、この仕事を続けていく覚悟があるか?

 最後に、皆さんに対して動機づけの話をしておきたいと思う。なぜなら、弁護士の仕事はそれなりのプレッシャーとストレスを伴うところ、もし皆さんが長期的にこの仕事を続けていこうと思うのであれば、動機づけの話は避けて通ることができないからである。

 仮に皆さんが20代、30代の若者であるとするならば、老齢によってリタイアするまで、およそ40年間は弁護士の仕事をする可能性がある。もちろん、今後、皆さんは職場を変えるかもしれないし、企業や行政のインハウスとして働く可能性もあるかもしれない。しかし、どこでどのような仕事をするとしても、弁護士資格を持って仕事をするのであれば、その本質は変わらないはずである。すなわち、弁護士であるならば、多かれ少なかれ広汎な裁量を与えられ、法律の知識と論理的思考力に基づいて一定の成果物(書面、契約書、法律相談への回答など)を作成することを求められ、その成果物の良し悪しによって人の人生や会社の経営を左右することになるのである。よって、そのようなプレッシャーやストレスを背負ってでも弁護士の仕事を続ける理由を見つける必要がある。

 人によっては、弁護士の仕事を続ける理由は「お金」かもしれない。しかし、よく言われるように、金銭によるインセンティブ効果は短期的なものであり、しばらくするとそのお金をもらえることが当たり前のように感じられ、モチベーションを高める効果はなくなる。そのため、少なくとも「お金」は40年間の仕事を支える動機づけにはならないように思う。

 また、人によっては、依頼者から「感謝されること」が弁護士の仕事を続ける理由なのかもしれない。しかし、これもよく言われることであるが、弁護士に助けられた人の全てがその弁護士に感謝してくれるわけではない。むしろ、精一杯事件処理をしたにもかかわらず、不本意な結果に終わり、依頼者から不満の言葉をぶつけられることも多々あるのである。依頼者から「感謝されること」を動機づけにしている人は、そのような場合に折れてしまわないだろうかと不安になる。

 私はよく、弁護士の世界にはダークサイドがあると考える。すなわち、うつ病に罹り、事件処理が全くできなくなった弁護士がいる。また、自尊心を守るためなのだろうか、依頼者を怒鳴りつけるような弁護士もいる。そして、私は、そのようなダークサイドは、一寸先は闇、自分にも降りかかりうるものだと常々考えている。

 だからこそ、ダークサイドに堕ちることなく、長期間仕事を続け、かつ、絶えずスキルやマインドを高めていくため、我々には強力な動機づけが必要である。

 

⑵ 自己実現=自己超越

 そこで参考となるのが、心理学者であるアブラハム・H・マズローが提唱した「欲求五段階」説である。マズローは、人間の欲求には「生理的欲求」、「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」、「承認欲求」、「自己実現の欲求」の五段階があり、人間は低次の欲求が満たされるとより高次の欲求を求めるようになり、高次の欲求ほど強い動機づけをもたらすと述べた。そこで、仮にこの説が真であるならば、我々は最高次の欲求、すなわち「自己実現の欲求」を得ることができたときに、最も強い動機づけを得ることができるということになる。

 ところで、「自己実現」という言葉を聞くとき、我々はそれを「理想の自分になる」といった意味で理解することが多い。そして、それは「成功」とほぼ同義に扱われている。しかし、マズロー自身は、その著書の中で、「自己実現」という用語を上記とは全く別の意味で用いているのである。

 

 例えば、マズローは、著書の中で次のように述べている。

 

 仕事を通じて自己実現を果たすということに関して、次の点を指摘することができる。すなわち、こうした形での自己実現は、おのずと自己超越をもたらし、自己認識や自己意識をまったくともなわない精神状態に導いてくれるのだ。日本や中国をはじめとする東洋には、こうした精神状態に至ろうと、たえず修行を重ねている人びとがいる。仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我とも言うべき無我に達することでもある自己実現は、利己-利他の二項対立を解消するとともに、内的-外的という対立をも解消する。なぜなら、自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなるからである。内的世界と外的世界は融合し、一つになる。同じことは、主観-客観の二分法についても当てはまる。-『完全なる経営』(金井壽宏監訳、大川修二訳)

 

 

 「自己実現は、利己-利他の二項対立を解消する」、「自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなる」といった部分は理解が難しいかもしれない。マズローは、上記のようにいえる理由を「シナジー」という用語を用いて次のように説明している。

 

 自己実現者は利己主義と利他主義という二分法を超越した存在であり、そのことはさまざまな言葉で表現することができる。一例を挙げれば、自己実現者は他人の喜びによって自分の喜びを得る人間である。つまり、他人の喜びから利己的な喜びを得るのであるが、これは利他主義的なことと言える。私がかつて挙げた例が、ここでも役立つだろう―――たとえば、私が自分の幼い娘に私のイチゴを与え、そのことから大きな喜びを感じるとしよう。自分で食べても喜びを味わえることは確かだ。だが、大好物のイチゴをおいしそうに食べる娘の姿を見て楽しみ、喜びを覚えるとすれば、この私の行為は利己的なのだろうか、それとも利他的なのだろうか。私は何かを犠牲にしているだろうか。それとも、愛他的な行動を取っているのか。結局は自分が楽しんでいるのだから、利己的なのだろうか。ここではっきり言えるのは、利己主義と利他主義を互いに相容れない対立概念としてとらえることには何の意味もないということである。両者は一つに溶けあっているのだ。私が取った行動は全面的に利己的でもなければ、全面的に利他的でもない。利己的であると同時に利他的であると言っても同じことである。より洗練された表現を用いれば、シナジーのある行為なのである

-前掲『完全なる経営』

 

 そして、マズローは、シナジーを実現するための行動について、「B力(B-power)」という固有の用語を用いた上で、次のように説明している。

 

 B力とは、やるべきことをやる能力のことであり、取り組むべき仕事に取り組む能力、現実に存在する問題を解決する能力、完遂すべき仕事を完遂する能力のことである。あるいは、真、善、美、正義、完全性、秩序といったあらゆるB価値を育み、守り、高める能力と言うこともできる。B力はもっといい世界を作る能力であり、世界をより完璧に近づける能力である。最も単純なB力としては、曲がったものをまっすぐに直し、未完成のものを完成させるといったゲシュタルト(全体性への希求)に基づく動機づけを挙げることができる。傾いた壁の絵をまっすぐに直すという行為は、その典型例である。壁の絵が傾いているというのは、ほとんどの人間にとって少々気持ちを乱される状況であり、傾きに気づいた者は、絵の所へ行ってまっすぐかけ直せという心の「要請」を聞き取ることになる。そして、実際にまっすぐかけ直すことで満足感を得ることができる。-前掲『完全なる経営』

 

 

⑶ 人間を好きになること

 さて、以上のことを踏まえた上で、私なりにマズローの思想を解釈すると、次のとおりとなる。

 

①人間の最高次の欲求は、自己実現の欲求である。

②仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我とも言うべき無我に達することでもある。その意味で、自己実現とは自己超越でもある。

③自己実現=自己超越の境地において、利己-利他の二項対立は解消される。なぜなら、自己実現者は他人の喜びによって自分の喜びを得るため、利己的な行為は同時に利他的な行為でもあるからである(これを「シナジー」という。)。

④そして、シナジーを実現するために必要となる能力は、やるべきことをやる能力、取り組むべき仕事に取り組む能力、現実に存在する問題を解決する能力、完遂すべき仕事を完遂する能力である。それはもっといい世界を作る能力であり、世界をより完璧に近づける能力である。

 

 すなわち、眼前の取り組むべき仕事に取り組み(④)、そのことが他人に喜びをもたらすことを通じて自分の喜びを得る境地(③)こそが、真の自我とも言うべき無我(自己超越)であり(②)、自己実現ということである(①)。そして、自己実現の欲求を得ることができたとき、我々は最も強い動機づけを得ることができる。

 

 ところで、上記が成り立つためには、他人の喜びを自分の喜びと感じること、すなわち人間が好きである必要がある。しかし、これがなかなか難しい。なぜなら、人は自分の配偶者や子ども、親、兄弟、友人らの喜びであれば自ずと自分の喜びと感じられるものの、関係の薄い他人の喜びを同様に感じることは難しいためである。そのため、自己実現=自己超越の道とは、実質的には人間を好きになる道であるといえる。

 では、人間を好きになるためにはどうすればよいのだろう?これについては、私にも確たる考えがあるわけではないが、経験的に述べれば次の3つのアプローチが重要ではないかと思う。すなわち、エゴイズムを超克すること、他者の境遇を想像する習慣を持つこと、そして実際に他者に貢献し続けることである。

 そして、上記のうち3つ目は仕事を通じて実現できるものの、1つ目と2つ目は基本的に私生活を通じて実現されるものである。そのため、弁護士になった皆さんには、仕事に励むだけでなく、充実した私生活を送ってもらいたい。そして、皆さんが人間を好きになり、皆さんなりの方法で「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしいと心から願っている。

 

⑷ 参考書籍等

・アブラハム・H・マズロー『完全なる経営』(日本経済新聞出版社)

・ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房)