弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい(第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~)

全体目次

第1 総論 ~弁護士という仕事について~
1 「仕事」とは何か?
2 弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?
3 期待に応える弁護士になるには

第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~
1 「代理人」としてのあり方
2 弁護士の面接技法
3 弁護士の交渉術
4 法律文書作成

第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~
1 仮説形成と仮説検証が何よりも大切
2 ロジカル・シンキングはあらゆる仕事の基礎
3 「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい

 

⑴ 今後40年間、この仕事を続けていく覚悟があるか?

 最後に、皆さんに対して動機づけの話をしておきたいと思う。なぜなら、弁護士の仕事はそれなりのプレッシャーとストレスを伴うところ、もし皆さんが長期的にこの仕事を続けていこうと思うのであれば、動機づけの話は避けて通ることができないからである。

 仮に皆さんが20代、30代の若者であるとするならば、老齢によってリタイアするまで、およそ40年間は弁護士の仕事をする可能性がある。もちろん、今後、皆さんは職場を変えるかもしれないし、企業や行政のインハウスとして働く可能性もあるかもしれない。しかし、どこでどのような仕事をするとしても、弁護士資格を持って仕事をするのであれば、その本質は変わらないはずである。すなわち、弁護士であるならば、多かれ少なかれ広汎な裁量を与えられ、法律の知識と論理的思考力に基づいて一定の成果物(書面、契約書、法律相談への回答など)を作成することを求められ、その成果物の良し悪しによって人の人生や会社の経営を左右することになるのである。よって、そのようなプレッシャーやストレスを背負ってでも弁護士の仕事を続ける理由を見つける必要がある。

 人によっては、弁護士の仕事を続ける理由は「お金」かもしれない。しかし、よく言われるように、金銭によるインセンティブ効果は短期的なものであり、しばらくするとそのお金をもらえることが当たり前のように感じられ、モチベーションを高める効果はなくなる。そのため、少なくとも「お金」は40年間の仕事を支える動機づけにはならないように思う。

 また、人によっては、依頼者から「感謝されること」が弁護士の仕事を続ける理由なのかもしれない。しかし、これもよく言われることであるが、弁護士に助けられた人の全てがその弁護士に感謝してくれるわけではない。むしろ、精一杯事件処理をしたにもかかわらず、不本意な結果に終わり、依頼者から不満の言葉をぶつけられることも多々あるのである。依頼者から「感謝されること」を動機づけにしている人は、そのような場合に折れてしまわないだろうかと不安になる。

 私はよく、弁護士の世界にはダークサイドがあると考える。すなわち、うつ病に罹り、事件処理が全くできなくなった弁護士がいる。また、自尊心を守るためなのだろうか、依頼者を怒鳴りつけるような弁護士もいる。そして、私は、そのようなダークサイドは、一寸先は闇、自分にも降りかかりうるものだと常々考えている。

 だからこそ、ダークサイドに堕ちることなく、長期間仕事を続け、かつ、絶えずスキルやマインドを高めていくため、我々には強力な動機づけが必要である。

 

⑵ 自己実現=自己超越

 そこで参考となるのが、心理学者であるアブラハム・H・マズローが提唱した「欲求五段階」説である。マズローは、人間の欲求には「生理的欲求」、「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」、「承認欲求」、「自己実現の欲求」の五段階があり、人間は低次の欲求が満たされるとより高次の欲求を求めるようになり、高次の欲求ほど強い動機づけをもたらすと述べた。そこで、仮にこの説が真であるならば、我々は最高次の欲求、すなわち「自己実現の欲求」を得ることができたときに、最も強い動機づけを得ることができるということになる。

 ところで、「自己実現」という言葉を聞くとき、我々はそれを「理想の自分になる」といった意味で理解することが多い。そして、それは「成功」とほぼ同義に扱われている。しかし、マズロー自身は、その著書の中で、「自己実現」という用語を上記とは全く別の意味で用いているのである。

 

 例えば、マズローは、著書の中で次のように述べている。

 

 仕事を通じて自己実現を果たすということに関して、次の点を指摘することができる。すなわち、こうした形での自己実現は、おのずと自己超越をもたらし、自己認識や自己意識をまったくともなわない精神状態に導いてくれるのだ。日本や中国をはじめとする東洋には、こうした精神状態に至ろうと、たえず修行を重ねている人びとがいる。仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我とも言うべき無我に達することでもある自己実現は、利己-利他の二項対立を解消するとともに、内的-外的という対立をも解消する。なぜなら、自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなるからである。内的世界と外的世界は融合し、一つになる。同じことは、主観-客観の二分法についても当てはまる。-『完全なる経営』(金井壽宏監訳、大川修二訳)

 

 

 「自己実現は、利己-利他の二項対立を解消する」、「自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなる」といった部分は理解が難しいかもしれない。マズローは、上記のようにいえる理由を「シナジー」という用語を用いて次のように説明している。

 

 自己実現者は利己主義と利他主義という二分法を超越した存在であり、そのことはさまざまな言葉で表現することができる。一例を挙げれば、自己実現者は他人の喜びによって自分の喜びを得る人間である。つまり、他人の喜びから利己的な喜びを得るのであるが、これは利他主義的なことと言える。私がかつて挙げた例が、ここでも役立つだろう―――たとえば、私が自分の幼い娘に私のイチゴを与え、そのことから大きな喜びを感じるとしよう。自分で食べても喜びを味わえることは確かだ。だが、大好物のイチゴをおいしそうに食べる娘の姿を見て楽しみ、喜びを覚えるとすれば、この私の行為は利己的なのだろうか、それとも利他的なのだろうか。私は何かを犠牲にしているだろうか。それとも、愛他的な行動を取っているのか。結局は自分が楽しんでいるのだから、利己的なのだろうか。ここではっきり言えるのは、利己主義と利他主義を互いに相容れない対立概念としてとらえることには何の意味もないということである。両者は一つに溶けあっているのだ。私が取った行動は全面的に利己的でもなければ、全面的に利他的でもない。利己的であると同時に利他的であると言っても同じことである。より洗練された表現を用いれば、シナジーのある行為なのである

-前掲『完全なる経営』

 

 そして、マズローは、シナジーを実現するための行動について、「B力(B-power)」という固有の用語を用いた上で、次のように説明している。

 

 B力とは、やるべきことをやる能力のことであり、取り組むべき仕事に取り組む能力、現実に存在する問題を解決する能力、完遂すべき仕事を完遂する能力のことである。あるいは、真、善、美、正義、完全性、秩序といったあらゆるB価値を育み、守り、高める能力と言うこともできる。B力はもっといい世界を作る能力であり、世界をより完璧に近づける能力である。最も単純なB力としては、曲がったものをまっすぐに直し、未完成のものを完成させるといったゲシュタルト(全体性への希求)に基づく動機づけを挙げることができる。傾いた壁の絵をまっすぐに直すという行為は、その典型例である。壁の絵が傾いているというのは、ほとんどの人間にとって少々気持ちを乱される状況であり、傾きに気づいた者は、絵の所へ行ってまっすぐかけ直せという心の「要請」を聞き取ることになる。そして、実際にまっすぐかけ直すことで満足感を得ることができる。-前掲『完全なる経営』

 

 

⑶ 人間を好きになること

 さて、以上のことを踏まえた上で、私なりにマズローの思想を解釈すると、次のとおりとなる。

 

①人間の最高次の欲求は、自己実現の欲求である。

②仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我とも言うべき無我に達することでもある。その意味で、自己実現とは自己超越でもある。

自己実現=自己超越の境地において、利己-利他の二項対立は解消される。なぜなら、自己実現者は他人の喜びによって自分の喜びを得るため、利己的な行為は同時に利他的な行為でもあるからである(これを「シナジー」という。)。

④そして、シナジーを実現するために必要となる能力は、やるべきことをやる能力、取り組むべき仕事に取り組む能力、現実に存在する問題を解決する能力、完遂すべき仕事を完遂する能力である。それはもっといい世界を作る能力であり、世界をより完璧に近づける能力である。

 

 すなわち、眼前の取り組むべき仕事に取り組み(④)、そのことが他人に喜びをもたらすことを通じて自分の喜びを得る境地(③)こそが、真の自我とも言うべき無我(自己超越)であり(②)、自己実現ということである(①)。そして、自己実現の欲求を得ることができたとき、我々は最も強い動機づけを得ることができる。

 

 ところで、上記が成り立つためには、他人の喜びを自分の喜びと感じること、すなわち人間が好きである必要がある。しかし、これがなかなか難しい。なぜなら、人は自分の配偶者や子ども、親、兄弟、友人らの喜びであれば自ずと自分の喜びと感じられるものの、関係の薄い他人の喜びを同様に感じることは難しいためである。そのため、自己実現=自己超越の道とは、実質的には人間を好きになる道であるといえる。

 では、人間を好きになるためにはどうすればよいのだろう?これについては、私にも確たる考えがあるわけではないが、経験的に述べれば次の3つのアプローチが重要ではないかと思う。すなわち、エゴイズムを超越すること、他者の境遇を想像する習慣を持つこと、そして実際に他者に貢献し続けることである。

 そして、上記のうち3つ目は仕事を通じて実現できるものの、1つ目と2つ目は基本的に私生活を通じて実現されるものである。そのため、弁護士になった皆さんには、仕事に励むだけでなく、充実した私生活を送ってもらいたい。そして、皆さんが人間を好きになり、皆さんなりの方法で「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしいと心から願っている。

 

⑷ 参考書籍等

アブラハム・H・マズロー『完全なる経営』(日本経済新聞出版社

・ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房