弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?(新人弁護士研修資料「第1 総論 ~弁護士という仕事について~」)

全体目次

第1 総論 ~弁護士という仕事について~
1 「仕事」とは何か?
2 弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?
3 期待に応える弁護士になるには

第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~
1 「代理人」としてのあり方
2 弁護士の面接技法
3 弁護士の交渉術
4 法律文書作成

第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~
1 仮説形成と仮説検証が何よりも大切
2 ロジカル・シンキングはあらゆる仕事の基礎
3 「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい

 

 前項では、弁護士にとっての顧客とは、第一に受任事件の当事者である依頼者であり、第二に雇用主であるボス弁であると述べた。

 そこで、次に顧客たる依頼者・ボス弁のそれぞれの立場から弁護士に対してどのような「価値」が期待されているかを考えてみよう。

 

⑴ 依頼者が弁護士に期待する「価値」

 まず想像してみよう。

 

 依頼者は結婚10年目の男性。最近、妻から離婚を切り出され、妻と子どもは自宅を出て別居してしまった。そして、妻は間髪入れずに弁護士を立て、自分に対して慰謝料と財産分与を請求してきている。どうやら妻は自分がモラルハラスメントを行ったと主張しているようだ。財産分与については、妻との共有財産を分けるものであるし、今後の子どもたちの生活にも必要である以上、正当な内容であれば応じるつもりである。しかし、妻側の弁護士が要求してくる内容はあまりに不公平なようだ。それに、妻とは喧嘩が絶えなかったものの、原因は妻側にもあるし、一方的なモラルハラスメントとして慰謝料を請求されるのは心外だ。自分としては妻側の弁護士に反論したいことは山ほどある。だけど、こういったことは初めてで、どうやって対処すればいいのかわからない。ストレスで胃がどうにかなりそうだ・・・。誰か信頼の置ける弁護士さんを僕も見つけないと・・・。

 

 

 上記の事例で、依頼者(仮に「Aさん」としよう。)は弁護士にどのような「価値」を期待するのだろうか?私は次のように考える。

 まず、依頼者は一定の「経済的利益」を期待している。上記の事例に照らしていえば、Aさんは妻に対して支払う慰謝料が少なくなる(できればゼロになる)ことを望んでいるし、財産分与を正当な金額にすることを望んでいる。また、親権や面会交流を「経済的利益」と言えるかには難しい部分があるが、少なくとも依頼者が多額の弁護士費用を支払ってでも得たい利益・成果だと考えるならば、それらを「経済的利益」の範囲に含めることも可能であると考える[1]

 そして、我々弁護士は、基本的に依頼者に「経済的利益」をもたらすことを通じて報酬を得ている。なぜなら、日弁連の旧報酬規定をはじめ、弁護士報酬の算定は「経済的利益」の金額を基準として行われるためである。

 

 しかし、だからといって、依頼者の期待は「経済的利益」に尽きるものではないと私は経験的に考える。なぜなら、依頼者の中には、支払う弁護士費用が自らの得るであろう「経済的利益」に見合わないような場合(いわゆる赤字の場合)においても、弁護士に依頼したいと考える人が一定数いるからである。では、彼らが弁護士に期待する価値とは一体何だろうか?

 私は、彼らの期待するもう一つの価値とは、「安心」であると考える。すなわち、Aさんは、突然妻子が自宅を出ていってしまうという、人生において非常に深刻な出来事に直面することになった。しかも、彼の下には妻側に就いた弁護士から内容証明郵便などで高圧的な通知書が届き、胃の痛む思いをしている。離婚事件に限らず、法的紛争に巻き込まれた当事者というのは、そのような強いストレスに見舞われるのが通常であると考えられる。

 そして、当事者の中には、ストレスによって仕事が手に付かなくなったり、健康を害してしまう人がいる。また、悲しいことに、紛争をきっかけにして自死の道を選んでしまう人もいる。だから、当事者の中には、「経済的利益」を多少譲ったとしても、紛争から逃れ、安心ある生活を取り戻したいと願う者がいる。そのため、我々弁護士には、依頼者の心情に寄り添い、「安心」をもたらす役割が求められるのである。

 

 以上をまとめると、依頼者は「経済的利益」と「安心」の両方を提供してくれることを弁護士に対して期待しているのではないかと考える。なお、前者と後者のうちどちらを重視するかは、依頼者の性格や事件の性質によるところが大きい。しかし、我々弁護士としては、少なくとも両者に重要性を認めた上で、依頼者の意向に沿って両者を最大化することを目指すべきであるように思う。

 

⑵ ボス弁が勤務弁護士に期待する「価値」

 さて、次にボス弁が勤務弁護士に期待する「価値」とは何だろうか?私は次のように考える。

 まず、ボス弁もやはり「経済的利益」を期待している。すなわち、有り体に言えば、勤務弁護士が事務所に在籍していることによる利益が、勤務弁護士に対して支払う給与と諸費用の合計額を(できる限り多く)上回ることを期待している。

 もっとも、ここで留意しなければならないのは、「勤務弁護士が事務所に在籍していることによる利益」というのは、その人が事件を処理することを通じて得られる売上に限られるものではないということである。すなわち、皆さんが事件を処理することによって仮に売上が生じなかったとしても、皆さんが費やした時間の分だけボス弁が別の仕事を処理したり、ライフワークに時間を割くことができたのであれば、それは十分な利益ということができる。また、見方を変えれば、皆さんが事務所に在籍している事実自体が事務所に一定の利益をもたらしているともいえる。なぜなら、弁護士が多数所属している事務所というだけで、顧客の獲得や人材の採用の面で有利な効果を得ることができるからである。そのため、「勤務弁護士が事務所に在籍していることによる利益」とは、専ら客観的に算定できるものではなく、ある程度主観的なものだといえる。

 しかし、いずれにしても、ボス弁も一介の経営者である以上、損得勘定から自由でいることはできない。なぜなら、ボス弁には社員や家族の生活を支える責任があるからである。そのため、ボス弁としては、勤務弁護士が客観的にも主観的にも「経済的利益」を満たすような働きをしてくれると非常にありがたいのである。

 ただし、上記のことは、勤務弁護士の片務的な努力を要求するものではない。むしろ、ボス弁は勤務弁護士が「経済的利益」を満たすことができるように仕事の割り振りを工夫したり、スキルアップを支援したり、体制を整えたりする責任を負っている。そのようにして、ボス弁と勤務弁護士が双務的に「経済的利益」の実現を目指すような形が理想であると考える。

 

 さて、いわゆる「弁護士ビジネス」の法律事務所であれば、ボス弁が勤務弁護士に期待する価値は「経済的利益」に尽きるのかもしれない。しかし、ボス弁が職人気質であり、弁護士の仕事にこだわりを持つ人であればあるほど、勤務弁護士に対しては別の期待を持つように思われる。それは「師弟関係」という価値である。

 ボス弁になるような人は、その前段階において一定の事件処理能力を身に付けている[2]。そのため、彼にはいわゆるSolo Practitionerとして弁護士の人生を突き通す選択肢もあったはずである。それでもなお、彼が勤務弁護士を雇い、「ボス弁」になろうとしたのはなぜだろうか。

 もちろん、その動機は人それぞれであろう。あくまで「経済的利益」が動機であるかもしれないし、事務所の拡大そのものが動機かもしれない。しかし、彼が弁護士の仕事にこだわりを持つ人である場合、「ボス弁」になろうとした動機の一つには、自分が身に付けたスキルを後輩弁護士に伝えたいという動機が少なくともある程度含まれているのではないかと思う。

 ところで、勤務弁護士である皆さんからしたら、「師弟関係」など暑苦しいし、煩わしいと思うかもしれない。しかし、一度立ち止まって考えていただきたい。もし皆さんがどのような職場(法律事務所、企業、行政など)に入ったとしても、仕事上、最も緊密な関係を持つことになるのは結局は直属の上司なのである。よって、皆さんが仕事を楽しむことができるかどうかや仕事を通じて成長することができるかどうかは、否応なく直属の上司との人間関係に左右されることになるのである。だとすれば、その直属の上司と望ましい人間関係を結ぶほうが間違いなく皆さんにとって利益ではなかろうか?

 そして、直属の上司との望ましい人間関係とは、決して友達のような関係ではない。それは(互いに)育て・育てられる人間関係のことであり、すなわち「師弟関係」である[3]

 そして、上司の多くは、「弟子」と認識した人に対してはスキルの全てを教えてくれるのではないかと思う。また、「弟子」のしでかしたミスには寛容な態度を取るのではないかと思う(見かけは厳しいこともあるかもしれないが)。なぜなら、多くの上司にとって「弟子」を持つこと自体に固有の価値があるからであり、それは「次の世代に何かを残したい。次の世代を育てたい」(世代継承性)という人間にとって普遍的な心理に基づくのではないかと思う。

 

 

[1] なお、弁護士報酬の算定の際、親権や面会交流といった算定困難な利益を一定の「経済的利益」と擬制した上で報酬算定をすることは一般に行われている。

[2] ただし、ボス弁となった後、事件処理から長年離れてしまい、その能力自体を失ってしまった人も一定数いることは事実である。

[3] 大久保幸夫『マネージャーのための人材育成スキル』(日本経済新聞出版)第6章。なお、「師弟関係」と呼ぶことに抵抗があるなら、メンターシップと言い換えてもよいと思う。