弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である(「ボス弁」論「第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 勤務弁護士の育成は難しい

 さて、前項では私の失敗談を記したのだが、ふと周りを見渡すと、当業界において同様の事例は数多く聞こえてくる。また、それらの事例の中には、(主に元勤務弁護士の側からの情報であるが)ボス弁からパワハラまがいの「指導」を受けたという話も散見される。

 かつての私であれば、そのような話を聞いたとき、「あり得ないな」(軽蔑)とか「あの先生にもそういう顔があるんだ」(野次馬心理)と思っていた。しかし、今はちょっと違う。

 もちろん、パワハラをはじめとするハラスメントを許すべきでないことは当然である。もっとも、少なくない数のボス弁が勤務弁護士に対して強く当たってしまう理由は、今はわかる気がする。それだけ勤務弁護士を雇用・育成することには難しい部分がある。

 

⑵ 勤務弁護士の雇用・育成が難しい理由

ア 勤務弁護士のパフォーマンスが事務所経営を左右する

 勤務弁護士の雇用・育成が難しい理由としては、いくつかの要因が考えられる。

 まず、弁護士が多数所属している事務所でもない限り、一人の勤務弁護士の発揮するパフォーマンスの高低はその事務所の経営を左右するほどの影響を持つことが挙げられる。

 つまり、勤務弁護士の給与水準は事務職員の倍以上であり、昨今の採用難[1]によってその給与水準は更に上昇傾向にある。これは事務所側から見ると、勤務弁護士の損益分岐点が高まるということであり、仮にこれを超えない場合にはいわゆる「赤字」状態[2]に陥ってしまう。そして、多くの法律事務所はいわば零細企業であるため、勤務弁護士の給与水準によって生じた「赤字」を補填することは容易なことではないのである。

 そのため、ボス弁としては勤務弁護士のパフォーマンスに無関心でいるわけにいかず、指導に熱が入ってしまいがちのように思われる。

イ 無意識の刷り込み

 また、勤務弁護士の雇用・育成が難しいもう一つの理由として、無意識の刷り込みがあるように思われる。

 私が弁護士登録後に就職した事務所のボスは司法修習39期であったが、その世代のボス弁にとって勤務弁護士を叱って指導することは常識と捉えられていたように思う。そのため、私の兄弁(事務所の先輩弁護士)達もかつてボスから厳しい指導を受けていたし、その指導によって成長した自分達を誇りに感じている風もあった。私は、そのような兄弁達を見ていたので、次第にボスから叱られることには抵抗がなくなっていった。

 同様の経験を持つ先生方も多いのではなかろうか[3]

 

 いずれにせよ、私を含め一定数の弁護士は、自分が「叱る指導」を受けて育ったから、何かあると勤務弁護士にもついつい「叱る指導」をしてしまいがちなのではないかと思う。

 

⑶ 「怒り」=「期待」と「現実」のギャップ

 私自身はというと、(あくまで自己評価であるが)勤務弁護士に対して「叱る指導」はあまりしなかったと思う。もっとも、本当は叱りたいのに叱れないことに不満を鬱積したり、時にはその不満が嫌味として漏れ出てしまっていたのだから、大声で勤務弁護士を叱りつけるボス弁と本質は何ら変わらなかったと思う。

 つまり、人が抱く「怒り」という感情は、内心の「期待」と「現実」との間にギャップがあるときに起こるのである。そして、私は勤務弁護士を叱ること自体は少なかったものの、勤務弁護士に一方的な期待をし、勤務弁護士がその期待に応えないことに対して「怒り」を抱いていた。そうした「怒り」の感情こそが、かつて私の抱えていた不満の正体であったと今になって思うのである。

 

⑷ 他者を変えようとする心理

 人が他者を叱るのは、前記の「期待」と「現実」のギャップがあり、怒りを抱くからではないかと思う。そして、そのようなギャップ(そして怒りの感情)に直面したとき、人は「現実」(他者)を「期待」に合わせようとして、他者を叱り、その行動を変えようとするのである。

 私自身、期待に応えない勤務弁護士に対して、「指導」をし、その行動を変えようと何度も試みてきた。そして、そのことは勤務弁護士のためであると思ってきた。

 しかし、結論から言うと、私の「指導」によってその人が成長することはなかった。いや、確かにその場限りの行動が変わることはあったが、少し時間が経つと元通りになるということを何度も繰り返してきた。

 そのような繰り返しは、その人にとってもそうだったであろうが、私にとっても多大な苦痛であった。

 

 そして、結論から言うと、この他者を変えようとする心理の正体は我々の「エゴ」ではないかと思う。そのため、「ボス弁」が勤務弁護士を育成するにあたっては、何よりも自分自身のエゴを見つめ、マネジメントすることができなくてはならない。

 

 

[1] 法曹志望者数の低迷もあり、新人弁護士の数はかつてよりも少なくなっている。これに対して、採用を予定している法律事務所数は増えているため、相対的に買い手市場が続いている。

[2] もちろん、「新人弁護士研修資料」に書いたとおり、「『勤務弁護士が事務所に在籍していることによる利益』とは、専ら客観的に算定できるものではなく、ある程度主観的なもの」である。

[3] 私は司法修習66期であるが、より古い弁護士の時代にはなおさら「叱る指導」が一般的だったと思われる。