弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

弁護士の交渉術(新人弁護士研修資料「第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~」)

全体目次

第1 総論 ~弁護士という仕事について~
1 「仕事」とは何か?
2 弁護士が顧客に提供する「価値」とは何か?
3 期待に応える弁護士になるには

第2 各論 ~コアとなるスキル・マインド~
1 「代理人」としてのあり方
2 弁護士の面接技法
3 弁護士の交渉術
4 法律文書作成

第3 終わりに ~新人の皆さんに伝えておきたいこと~
1 仮説形成と仮説検証が何よりも大切
2 ロジカル・シンキングはあらゆる仕事の基礎
3 「何のために弁護士の仕事をするのか?」に対する回答を見つけてほしい

 

⑴ 弁護士の行う「交渉」とは何か?

 弁護士の業務の中で最も多くの割合を占めるのは、訴訟前の交渉事件である。なぜなら、事件のほとんど全ては訴訟前の交渉段階から始まり、そのうち一部が訴訟事件に移行するにすぎないからである。

 また、訴訟事件も、判決ではなく和解で解決される割合が7割程度といわれている。そして、和解というのは和解条項を巡る交渉の一つであることを考えると、やはり弁護士の業務のほとんど全ては交渉であるといえる。

 では、弁護士の行う「交渉」とは何か?私は次のように定義したいと思う。

 

 弁護士の行う「交渉」とは、判決というBATNA(Best Alternative to Negotiated Agreement。日本語訳は「不調時対策案」。)を巡って行われる対立当事者間の合意形成過程のことである。

 

 すなわち、判決というのは、当事者間の合意形成が不可能な状況に陥った場合の最終的な紛争解決手段である。これに対し、先に述べたとおり、紛争のほとんどは判決ではなく、当事者間の合意によって解決されている。その理由は、当事者間の合意による解決のほうが、判決よりも当事者にとって利益な面があるためである[1]。そのため、弁護士は、判決による結果を慎重に予想しつつ、仮に当事者間の合意による解決が判決による結果を上回る利益を依頼者にもたらすようであれば、積極的に合意形成を図る必要があるのである。

 

⑵ 感情を交渉から分離する

 前項で述べたことを前提とすれば、交渉は、当事者双方が

  当事者間の合意による解決 > 判決による結果

と判断したときに成立することになる。

 

 ところが、上記のような合理的な判断を困難にする要素が存在する。それは、人間の持つ感情である。

 憎しみと呼ばれる感情がその典型である。例えば、刑事事件や交通事故といった被害者/加害者が存在する類型の事件の場合、「被害者」は「加害者」に対して強い憎しみ(被害感情)を抱くことがあり、そのような感情が合理的な判断を難しくすることがある。すなわち、そのような人は「加害者からの面前の謝罪」や「加害者をできる限り苦しませること」を求めるようになり、仮に「加害者」側からの示談の提案が客観的に合理的なものであったとしても、それに応じる姿勢を見せなくなってしまうのである。

 そのような場合に、「加害者」側の弁護士として当事者間の合意を促していくのであれば、まず相手方の感情をその交渉から分離することが必要となる。

 では、相手方の感情を交渉から分離する方法とは何か?私は、その方法の一つが傾聴ではないかと考える。

 すなわち、相手方の訴える「被害感情」のストーリーを、まずは相手方の立場になって聴くのである。ただし、「相手方の立場になって聴く」ということは、相手方の利益を尊重するという意味では決してない。「聴く」ことと「する」こととは全く異なるのである。すなわち、皆さんは依頼者の利益を代表する弁護士なのであるから、相手方の立場になって話を聴くからといって、依頼者にとって不利な発言や約束などは決してしてはならない[2]

 さて、私は勤務弁護士であった頃、暗礁に乗り上げたとある交通事故の交渉事件をボス弁から割り当てられ、「被害者」である相手方との示談交渉に臨んだ。その交渉事件は相手方が感情的になっていて話にならないというので、やむなく前任者から引き継いだものであった。ところが、私が上記の考えに沿って相手方の訴える「被害感情」のストーリーを傾聴してみたところ、相手方はしばらくして「私も無理なものは無理とわかっているので、本音でいえば早くこの件を解決したいんですよ。」と言い、交渉の土台に乗る姿勢を示したのである。そこで、私が保険会社側の提示額を伝えたところ、相手方は「それ以上上がりませんか?」と聞いてきた。これに対し、私が「残念ながら、これ以上を希望されるのであれば裁判に移行することになります。」と伝えたところ、相手方は「そういうことなら、この内容で構いません。示談書を送って下さい。」と答えた。こうして私は相手方に示談書を郵送し、無事示談が成立したのである。なお、成立した示談額はいわゆる自賠責基準をわずかに超える程度のものであった。

 なお、ここで誤解しないでいただきたいのは、私はあらゆるケースにおいて相手方の話を傾聴しろと述べているのではないということである。まず、相手方が十分に合理的な交渉をすることのできる者(ex.代理人弁護士など)であるならば、傾聴などせず、最初から合理的な交渉を行うべきである。また、相手方が感情に捕らわれていたとしても、当該相手方と合意形成をする必要がないのであれば、やはり傾聴の必要はない。なぜなら、そのような場合には、判決というBATNAによって粛々と事件を解決すれば足りるからである。

 

⑶ BATNA自体とこれに対する相手方の認識を操作する

 さて、合理的な判断をなし得る当事者間の交渉が可能となったところで、弁護士は、当方にとって最大限有利な合意を形成するために何をすべきであろうか?私は、その一つは判決による結果(BATNA)を当方にとって最大限に有利に操作することであり、もう一つは判決による結果(BATNA)に対する相手方の認識を最大限相手方にとって不利に操作することだと考える。

 

 前項において、交渉とは、当事者双方が

  当事者間の合意による解決 > 判決による結果

と判断したときに成立すると述べた。仮にそうだとすれば、「当事者間の合意による解決」を当方にとって有利なものにするためには、「判決による結果」を当方にとって客観的に有利なものとすることが近道である。なぜなら、仮に交渉が決裂した場合であっても、「判決による結果」に基づいて十分に有利な解決を手にすることができるため、当方は強気な交渉態度を取ることができるためである(反対に、「判決による結果」が客観的に不利であれば弱気な交渉をせざるを得なくなる。)。

 ここで「判決による結果」を客観的に有利なものとする手段とは、有利な証拠の収集、有利な主張構成の立案、有利な判例の援用といった訴訟戦術全般のことである。そのため、弁護士は、優秀な交渉者であろうとするのであれば、同時に優秀な訴訟戦術家でなければならないのである。

 さらに、「判決による結果」を当方にとって客観的に有利なものにするとともに重要なのが、「判決による結果」に対する相手方の認識を相手方にとって不利に操作することである。なぜなら、仮に「判決による結果」を客観的に操作することが難しい事案であっても、これに対する相手方の認識を操作することができれば、相手方は相対的に弱気な交渉をせざるを得なくなるため、「当事者間の合意による解決」のラインは当方寄りになるためである。

 そして、そのための一つのテクニックが、「演技」ではないかと思う。すなわち、客観的には当方に不利と思われる状況であったとしても、相手方に対してはその素振りを見せず、むしろ態度や言葉や文章などを通じて相手方が不利と思わせるのである。

 このように、弁護士の行う交渉はいずれも判決というBATNAを中心に見据えて行われるものである。したがって、究極的にいえば、弁護士の行う交渉の成否は、「判決による結果」を正確に推測し、それ自体を有利に操作する(あるいはそれに対する相手方の認識を操作する)という、法的思考の優劣に左右されるのである。

 

⑷ 「安全牌」を少し超えるラインで合意を目指す

 さて、交渉を経て、当事者が互いに「判決による結果」に対する認識を持つようになると、自ずと双方にとっての合意のラインが見えてくることになる。これをZOPA(Zone of Possible Agreement。日本語訳は「合意可能領域」。)と呼ぶ。

 そして、ZOPAの重なった範囲において、当事者間の合意が成立する可能性があることがわかってくるのだが、このときシビアな交渉を要せずとも合意が成立するラインが同時に見えてくるのである。これを私は「安全牌」と呼んでいる。

 

 例えば、皆さんが離婚事件の妻側に立ち、夫に対して養育費の請求を行っていたとしよう。当初の請求額は月額10万円であり、これに対する夫側の主張額は月額6万円であった。その後、調停を何度か重ねて、皆さんは夫側の収入が不安定であることを知り、調停委員からの説得もあって請求額を月額9万円に修正した。また、夫側も調停委員からの説得を受けて主張額を月額7万円に修正した。

 

 このような事例を見たとき、皆さんの頭にも「月額8万円」という合意のラインが見えたのではないだろうか。「安全牌」とは、そのような誰にでもわかるような合意のラインを指すのである。

 しかし、このとき立ち止まって考えていただきたい。なぜなら、専ら「安全牌」で合意形成をしている弁護士は、それ以上交渉力の向上が望めないし、いわゆる替えのきく仕事をしているため、そのうち顧客から選ばれなくなっていくからである。

 そこで、交渉に臨む際には、見えてきた「安全牌」を少し超えるラインで合意を目指すことを習慣としてほしい。例えば、先の事例では、BATNAを踏まえた上で、月額8万5000円というような合意形成ができないかどうか、ギリギリまで踏ん張ってみてほしいのである。

 そのような仕事の仕方は、短期的には非効率と思われるかもしれないが、長期的には必ず報われる日が来るはずである。

 

⑸ 必ずしも合意にこだわるべきではない

 さて、ここまで合意形成の手法について述べてきたが、私が最後に伝えたいことは、優れた交渉をしたいのであれば、必ずしも合意にこだわるべきではないということである。

 なぜなら、依頼者にとって合意よりも判決が有利な場合、すなわち

  当事者間の合意による解決 < 判決による結果

の場合にまで、弁護士が合意形成を目指す必要はないからである。時折、あまりにも訴訟を嫌うがあまり、明らかに判決よりも不利な内容で相手方との合意をしてしまう当事者や弁護士を見ることがあるが、そのようなことは自戒を込めて避けなければならないと思う[3]

 また、合意形成において主導権を握るためには、これ以上は譲歩しないという決意表明、すなわち最後通牒を相手方に言い渡すことが有効である。そのためには、合意によらない解決手段を常に手札として持っておくことが必要なのである。

 

⑹ 参考書籍等

・フィッシャー&ユーリー『ハーバード流交渉術 イエスを言わせる方法』(知的生きかた文庫)

大橋弘昌『どんなときも優位な状況をつくれる 負けない交渉術』(朝日新聞出版)

・D・カーネギー『人を動かす』(創元社

・法的交渉の技法と実践~問題解決の考え方と事件へのアプローチ~

https://kenshu.nichibenren.or.jp/product/detail.php?pid=22751

 

 

[1] その利益とは、例えば判決による不確定な結果を避けることができること、判決よりも柔軟な解決ができること、費用と時間が節約できること、判決に至るまでの精神的負担を避けることができることなどである。

[2] 心の一面では相手方に心底共感しつつ、他面ではその相手方の利益をでき得る限り抑制するというのが、プロの交渉者のあり方ではないかと思う。

[3] その意味でも、弁護士は訴訟に強い必要があると思う。