弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

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他者は変わらない(「ボス弁」論「第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~」)

全体目次

第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない

第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例

第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援

 

⑴ 「期待」をコントロールする

 さて、指導しては元通りにという繰り返しの末に、私は一つの信念に行き着いた。それは、他者は変わらないということである。

 他者は変わらないということの含意については、次項で詳しく述べたいと思う。ここで述べておきたいのは、仮に他者が変わらないとすれば、私たちはどうすればよいのかということである。

 先に、「怒り」という感情は「期待」と「現実」のギャップであると述べた。そして、他者(=「現実」)は、(少なくとも自分の思い通りには)変わらないのである。だとすれば、「怒り」を上手くマネジメントする術は、「現実」ではなく「期待」をコントロールするほかにはないのである。

 つまり、私たちが苦しくなるのは、「一生懸命伝えれば(指導すれば)人(他者)は変わってくれるはずである」という期待を持つからにほかならない。しかし、少なくとも私の経験上、かかる期待は幻想に過ぎないのである[1]

 

 私が本稿において述べる「ボス弁」論の核心は、この「人(他者)は変わってくれるはずである」という期待を「人(他者)は変わらない」という信念に転換させることにある。そして、「他者は変わらない」ことを前提として他者とどのように付き合っていくかということが、後述する「採用論」、「育成論」につながってくる。

 

⑵ 「他者は変わらない」ことの含意

 さて、ここで「他者は変わらない」ことの含意について整理しておこう。

 私の考える含意とは、「基準に満たない人を採用しない」「人は最善を選択している」、「人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ」という3点である。

 

ア 含意①:基準に満たない人を採用しない

 第1の含意は、「基準に満たない人を採用しない」ということである。そして、このことはビジネスのみならず人間関係全般における最重要事項であると考える。

 すなわち、仮に「他者は変わらない」のだとすれば、あなたが付き合うべき相手は最初からあなたの条件とする「基準」を満たした人でなければならない。なぜなら、その他者が事後に「基準」を満たしてくれる保証はないし、実際にそうはならないことが多いからである。

 ところで、夫婦関係においては、結婚前に覚えた違和感はそのままにしてはならないという趣旨の警句が言われることがある。大丈夫だろうと安易に結婚した結果、結婚後に価値観の溝がどんどん広がっていき、離婚に至ってしまう危険があるからである。

 雇用関係も同様だと思う。だからこそ、「ボス弁」は雇用前に採用基準を明確にし、その基準に満たない人を採用しないように注意しなければならない。

 

イ 含意②:人は最善を選択している

 第2の含意は、「人は最善を選択している」ということである。

 「人(他者)が変わらない」のは、決してその人に悪意があるからではない。むしろ、その局面において(あなたの期待どおりには)変わらないことがその人にとっての「最善」策であるからこそ、人は変わらないのである。

 このように考えれば、人を変えようとする行為が如何に無為であるかということに気付くと思う。なぜなら、誰に言われなくても人はその人にとっての「最善」を尽くしているのである。したがって、その人は(少なくともその局面においては)それ以上変わりようがないし、変わる必要もないのである。

 ただし、その人が新人であるような場合には、知識や技術、認識の範囲が不十分であるため、その人にとっての「最善」策が仕事一般における「最善」策と食い違うことが多々ある。しかし、そのような場合であっても、変わるべきはその人自身ではない。むしろ、(「育成論」において述べるとおり)そのときにこそ周囲の人の支援が必要となるのである。

 

ウ 含意③:人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ

 第3の含意は、「人にできるのは成長しようとする他者を支援することだけ」ということである。

 ここでいう「支援」とは、叱ることや「指導」のように、他者を変えようとすることではないということに注意が必要である。すなわち、「支援」とは、人は最善を選択しており、現状ではそれ以上のパフォーマンスを出せないことを前提とした上で、それを超えるパフォーマンスを発揮するための武器(知識や技術、認識の範囲)を提供する行為を指すのである。そして、ここで提供された武器(知識や技術、認識の範囲)を他者が自分のものにしたときにこそ、その人は「成長した」と呼べるのである。

 ただし、提供された武器を取り入れるかどうかは、その人の選択次第ということを忘れてはならない。したがって、支援を受け入れない部下に対して我々上司が腹を立てるのはそもそも見当違いなのである。

 

 

[1] もちろん、何らかの原因で他者が変わることは実際にたくさんある。しかし、私がここで言いたいのは、変わるかどうかは結局その人(他者)次第なのであり、「変わってくれるはずである」という期待を持つことは幻想(あるいは独善)に過ぎないということである。