基本的な心掛け(「ボス弁」論「第3 育成論」)
全体目次
第1 序論 ~ボス弁自身の成長が何よりも重要~
1 「ボス弁」という仕事
2 勤務弁護士の育成はエゴ・マネジメントを試される仕事である
3 他者は変わらない
第2 採用論
1 成人発達理論に基づく採用基準の策定
2 採用基準の具体例
第3 育成論
1 基本的な心掛け
2 勤務弁護士の成長に対する支援
⑴ 勤務弁護士のやる気を削がないことが最も重要である
さて、次に育成論について話を進めていこうと思う。
といっても、採用に成功し、段階4(自己主導段階)以上の人を採用することができていれば、実は育成に関してはさほどやることはない。なぜなら、段階4(自己主導段階)以上の人材とは自律的に行動ができる人のことであり、極端な話、放っておいたとしても成長していく[1]からである(ただし、丸投げの体制に嫌気が差して辞めていくかもしれないが。)。
そこで、段階4(自己主導段階)以上の人材に対する育成においては、やる気を削がないことが最も重要であり、それに付随していくつかの支援をすることになる。
⑵ 自分の新人時代と比較することに何ら意味はない
ア 「ボス弁」に成りたての人がやってしまいがちなこと
この点、「ボス弁」に成りたての人がやってしまいがちなのは、勤務弁護士の一挙手一投足をチェックして、自分の新人時代と比較してしまう(そして時に叱る)ことである。これは私も散々やってしまったし、今でもやってしまうことがある(叱ることはないが)。
しかし、言うまでもないが、そうした行動は勤務弁護士のやる気を大きく削ぐことになる。
イ 前提条件が異なる
そもそも、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較することは、論理的に見ても妥当ではないといえる。なぜなら、自分の新人時代と今とでは業界の置かれた状況が異なるし、仕事の仕方自体も変わってきている。また、自分が新人時代に扱っていた事件と自分が現在勤務弁護士に扱わせている事件とでは、その性質(分野、単価、難易度、解決までの所要期間、事務職員や関係者の支援の有無等)が多かれ少なかれ異なるはずである。
このように前提条件が異なるため、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較することはおよそ不可能なのである。
ウ 結局「マウンティング」以上の意味はない
それにもかかわらず、勤務弁護士の仕事ぶりを自分の新人時代と比較してしまうのは、自分が人より優秀であると思いたい「エゴ」の作用にほかならない。すなわち、勤務弁護士に対して「マウンティング」をすることによって、自分のエゴを守ろうとしているのである。
勤務弁護士の成長や事務所の利益よりも自分のエゴを守ることが重要なのであればそれでもよいだろう。しかし、もしそうでないのなら、ボス弁は自らのエゴを直視し、マネジメントできなければならない。
⑶ 「自分でやったほうが早い」は実は遅い
また、「ボス弁」に成りたての人にありがちなのは、勤務弁護士の仕事が非効率だったり訂正が多いのを見て、「自分でやったほうが早い」と考えて仕事を抱えてしまうことである。ところが、このようなことを繰り返していると、勤務弁護士はボス弁に任せたほうが早いし楽だと考え、成長意欲を失ってしまうことになる。
それに加えて、一人の弁護士が抱えることのできる仕事量は思った以上に少ないのである。それにもかかわらず、ボス弁がたくさんの仕事を抱えてしまっては、事務所全体の仕事に遅延が生じることは明らかである。
そのため、仮に「自分でやったほうが早い」と思う仕事があったとしても、全体最適を考え、それを勤務弁護士に任せる態度こそが「ボス弁」の取るべき態度ではないかと思う。
[1] これを学習科学の分野では「自己調整学習」という。