第1 今回の記事のテーマ
他者から重要な人物だと思われたい。
全ての人は多かれ少なかれそのような「承認欲求」を持っています。
過去を振り返ってみると、ご多分に漏れず、私もそのような承認欲求を主たる動機として行動してきた覚えがあります。人は、人生の重要な局面における選択さえ、承認欲求に突き動かされて行動してしまうのですから、この欲求がいかに強固であるかがわかります。
しかし、他者からの承認を常に期待して生きることは苦しい。なぜなら、往々にして他者からの承認が与えられることは稀だからです。
そのため、私は、他者からの承認に頼らずに承認欲求を満たす方法について、これまで考えを巡らせてきました。
そのような折に読んだのが、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)です。
同書では、他者からの承認に頼らないもう一つの「ライフスタイル」が提示されていました。そして、それは私がこれまで漠然と考えてきたことと一致するものでした。
そこで、今回の記事では、同書の引用を交えて、他者からの承認に頼らない生き方、すなわち「自己受容」によって承認欲求を満たしていく生き方について、私の考えを述べてみようと思います。
第2 なぜ自己受容なのか
1 「承認欲求を否定する」?
青年 先生もご存じのはずです。いわゆる「承認欲求」ですよ。対人関係の悩みは、まさしくここに集約されます。われわれ人間は、常に他者からの承認を必要としながら生きている。相手が憎らしい「敵」ではないからこそ、その人からの承認がほしいのです!そう、わたしは両親から認めてほしかったのですよ!
哲人 わかりました。いまのお話について、アドラー心理学の大前提をお話しましょう。アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
青年 承認欲求を否定する?
哲人 他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。
青年 いやいや、なにをおっしゃいます!承認欲求こそ、われわれ人間を突き動かす普遍的な欲求ではありませんか!
(同書p.132)
同書において、アドラー心理学に通じた「哲人」は、他者からの承認を求めてはいけないと言います。そして青年は、これを「承認欲求を否定する」意味と理解しています。
しかし、欲求はそれを否定することで満たすことはできません。食欲を否定したからといって、空腹が満たされないのと同様のことです。
むしろ、私は、ここで言っているのは、哲人が注意深く言葉を選んでいるように、「他者から承認を求めること」を否定する意味だと理解しました。
なお、哲人は、前記引用箇所の後で、「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることに」なると指摘しています。(本書p.135)。
2 自己受容によって承認欲求を満たす
承認欲求そのものを否定することができないとすれば、他者からの承認を求める以外の方法でそれを満たすしかありません。
本書では、その方法として「自己受容」という概念が提示されています。
以下の引用箇所は、多少長いですが、重要な部分なので全文を引用します。
哲人 われわれは「わたし」という容れ物を捨てることもできないし、交換することもできない。しかし、大切なのは「与えられたものをどう使うか」です。「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです。
青年 それは、もっとポジティブになって自己肯定感を強く持て、何事も前向きに考えろ、ということですか?
哲人 ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。
青年 自己肯定ではない、自己受容?
哲人 ええ、この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックス(注:あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ること)にも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。
もっとわかりやすくいえば、60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが自己受容になります。
青年 仮に60点だったとしても、悲観する必要はないと?
哲人 もちろんです。欠点のない人間などいません。優越性の追求について説明するときにいいましたよね?人は誰しも「向上したいと思う状況」にいるのだと。
逆にいうとこれは、100点満点の人間などひとりもいない、ということです。そこは積極的に認めていきましょう。
青年 ううむ、ポジティブなようにも聞こえるし、どこかネガティブな響きも持った話ですね。
哲人 そこでわたしは、「肯定的なあきらめ」という言葉を使っています。
青年 肯定的なあきらめ?
哲人 課題の分離もそうですが、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。われわれは「なにが与えられているか」について、変えることはできません。しかし、「与えられたものをどう使うか」については、自分の力によって変えていくことができます。だったら「変えられないもの」に注目するのではなく、「変えられるもの」に注目するしかないでしょう。私のいう自己受容とは、そういうことです。
青年 ・・・変えられるものと、変えられないもの。
哲人 ええ。交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。それが自己受容です。
(同書p.227~229)
第3 どうすれば自己受容できるのか
1 本書からわかることとわからないこと
先の引用箇所からわかることは、自己受容とは、ありのままの「このわたし」を受け入れることであり、それは自分に対する「見方」を変えることによって可能だということです。
しかし、私を含め多くの人は、自分に対する見方を変えることができないから苦しんでいるのであって、前記引用箇所を読んだだけで自己受容ができるようにはならないはずです。
そこで、以下、前記引用箇所を補う形で、自己受容に対する私の考えを説明していきたいと思います。
2 コップ半分の水の比喩
コップに半分の水が入っています。
「水」の部分は、自分に「ある」もの。「空(から)」の部分は、自分に「欠けている」ものです。
このコップの水を見たとき、「水が半分ある」と思う人と、「水が半分足りない」と思う人がいると思います。
そして、コップの水が自分自身だとすれば、自己受容するためにはコップの水を「半分ある」と考えられるようにならなければなりません。前記引用箇所にいう、自分に対する見方を変えるとは、そのような意味だと理解しています。
では、コップの水を「半分ある」と見ることができるようになるにはどうすればよいのでしょうか。
3 自分に対する見方を変えるためには
(1) 自分の強みと弱みを理解する
コップの水の絵を描くためには、まず、自分の「水」の部分と「空」の部分を知らなければなりません。すなわち、自分の「強み」と「弱み」を知ることです。
欠点のない100点満点の人間がいないのと同様に、0点の人間もいません。むしろ、全ての人は等しく50~60点なのではないでしょうか。
そのような冷静な目で、自分の「強み」と「弱み」を洗い出してみることになります。
(2) 0点からの足し算という認識パターンを身に付ける
次に、コップの水を「半分足りない」と考えてしまうのは、頭のどこかでコップ一杯に満たされている水を理想としているからです。
心理学では、そのような100点満点の理想の自分のことを「理想自己」と呼び、現に存在するありのままの自分のことを「現実自己」と呼ぶそうです。
そして、多くの人が自己受容できずに苦しむのは、理想自己と現実自己のギャップに着目してしまうためです。
そこで、そのような認識パターンを変えることが、自己受容への道ということになります。
つまり、100点からの引き算ではなく、0点からの足し算によって現実自己を認識することです。
(3) 60点の自分にオーケーを出す
100点からの引き算ではなく、0点からの足し算で自分を見ることができるようになると、60点の自分は、-40点ではなく、+60点だということがわかります。これが自分をありのままに認識するということです。
そして、60点の自分、つまりそれなりに上手くやっている自分を認めることができれば、人は自己受容することができます。
それなりでいいのです。注意すべきは、自分を認めるときにvery good(90~100点)の評価は必要ないということです。good enough(60点)でよいのです。
very goodになるための努力が必要ないとは言いませんが、その努力はありのままの自分を認めてあげた後ですればよいのです。
(4) 自己受容できない自分を自己受容する
最後に、前記のプロセスに沿って、自分なりに自己受容する方法を身に付けたとしても、ふとした瞬間に他人に対して劣等感を感じたり、嫉妬心を抱いたりすることを止めることはできないでしょう。その意味では、人はどこまで言っても、承認欲求から自由になることはできないと言えるかもしれません。
しかし、自己受容できない自分(現実自己)を、自己受容”すべき”自分(理想自己)と比べてしまっては、先に述べた100点からの引き算に逆戻りです。
ですから、時々自己受容できなくなってしまう自分を否定しないようにしましょう。そのような弱さを捨てきれない自分こそ、ありのままの自分であり、愛すべき自分なのですから。
第4 まとめ
以上、自己受容について私の考えを述べました。
しかしながら、『嫌われる勇気』でも指摘されているように、自己受容は「言うは易く、行うは難し」の分野であり、私自身、日々自己受容できない自分に直面しています。
今回の記事は、稀に見る名著である『嫌われる勇気』を紹介すると同時に、承認欲求を満たす生き方は一つだけではありませんよというご紹介でした。
『嫌われる勇気』、ご興味のある方は是非手に取ってみて下さい。
■今週の注目記事
わかってはいるけれど、コントロール不可能な事象に心を悩ませることがいかに多いか・・・。
しかし、日々様々なことに忙しく、もっと言えば人生の時間だって短いからこそ、貴重な時間をコントロール可能な対象に集中することが大切だということでしょう。
さらに自己受容との関係で言えば、遺伝や幼少期の経験によって形成された自分の素質や性格は、もはやコントロール不可能な事象に位置付けられるのでしょう。そうした意味でも、ありのままの自分を受け入れることが必要なのかもしれません。