弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

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「試験」で求められる3つの「基礎」【学生時代の記事の再掲】

1.「基礎」の意義

 「基礎」という言葉を辞書で調べてみると、「それを前提として事物全体が成り立つような、もとい(土台、根本)」(広辞苑第6版)という意味が出てきます。このように「基礎」には初歩とか簡単といった意味は含まれておらず、事物全体に通底するものを指す言葉だと理解することができます。

 「基礎」のこのような意義を前提とすると、「試験」にはおよそ3つの「基礎」があったのではないかと思います。① ある科目内の複数の事項に共通する基礎、② 法律科目全体に共通する基礎、③ 「試験」と他の分野に共通する基礎です。

 

2.「試験」における基礎

① ある科目内の複数の事項に共通する基礎

 ある科目内の複数の事項に共通する基礎については、まず、特定の法規範の要件・効果の前提をなす制度趣旨があります。例えば、民法94条2項の要件は通謀による虚偽の意思表示と第三者の善意で、その効果は当事者が意思表示の無効を第三者に対抗することができないことですが、その前提には権利外観法理、すなわち真の権利者の帰責性に基づく虚偽の外観を信頼した第三者を保護しようとする制度趣旨があります。

 また、複数の法規範の前提をなす制度趣旨や原理というものもあります。上記の権利外観法理はその典型であり、民法94条2項の類推適用や表見代理規定の前提をなしています。

 

② 法律科目全体に共通する基礎

 法律科目全体に共通する基礎の典型例としては、法的三段論法があります。

 法的三段論法とは、おおすじ以下のような図で表されるものと理解しています。

 

1(大前提たる法規範)

 条文・基本原理(「基本的理解」の確認)

 (必要とあらば法解釈)

 規範の抽象的宣明(「基本的理解」の確認。特に判例法理・通説。)

2(小前提たる事実)

 問題文の事実の抽出

   ↓(すじみち)

 規範との関係でどのような意味を有するかを明らかにすること(「評価」)

   ↓(すじみち)

 規範の具体的宣明(本件で、規範はどのような形で表れているか。「基本的理解」の応用ができていることの確認。)

3(結論)

 

 このような順序で論じていくことで、論理的で説得的な法律家の文章になると同時に、「試験」との関係では法の基本的理解とその応用にもれなく答えることができるのだと思います。

 

③ 「試験」と他の分野に共通する基礎

 「試験」と他の分野に共通する基礎というものが存在します。これには性格やマインド、地頭など様々なものが含まれますが、私がここで紹介したいのは戦略的思考です。

 戦略的思考とは、「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」という孫子の言葉に集約されると思います。

 私は、「試験」は"暗闇迷路"だと考えています(そういう言葉があるのか知りませんが。)。つまり、ゴール地点のはっきりした"マラソン"であればさほど苦労しないのですが、現実にはどこがゴール地点なのかはっきりせず、多くの受験者が暗闇の中で右往左往しています。ゴール地点がわからない結果、自分が現在ゴール地点との関係でどこに立っているかもわからないからです。

 この暗闇迷路をクリアする方法にはいくつかあって、比喩的にいえば、a 嗅覚を使ってゴールを探り当てる人もいるでしょう(「試験」に対するセンス)。また、b あり得る全てのルートを実際に歩き尽くしてゴールに辿り着く人もいるでしょう(圧倒的な勉強量・演習量)。しかし、第三の道として、c 迷路を俯瞰的に見ることによりゴール地点と現在地点をはっきりさせる方法(分析、研究)があると思います。

 私は比較的上記のcの方法を意識して勉強し合格しましたが、受験後に気付いたのはこの方法は他分野にも広く応用が利くということです。詳しくは紹介しませんが、様々な分野での学習効率が上がりました。

 これは逆方向から見ても同じであるはずで、「院」入学前に他分野に取り組むことを通じて戦略的思考を身に付けていた人にとって、「試験」は比較的取り組みやすかったのではないでしょうか。

 

3.修習へ

 以上、「試験」で求められる「基礎」について、私の思うところをまとめてみました。

 そして修習に向かおうとする今、白表紙教材などを読む限り、「試験」における基礎と修習における基礎は大部分が共通しているのではないかと感じています(当たり前ですが)。そのため、平成22年度合格者の「眠れる豚」さんの以下の言葉は重く受け止めるべきだと思います。

 

 僕自身の「試験」合格から1年以上経ってしまいましたが、いま修習を終え、受験勉強でやってきたことは無駄ではなかったというのが偽らざる実感です。修習で垣間見た実務は、「試験」で得た知識だけで何とかなる世界ではありませんが、そうした知識は当然前提とされます。例えば検察庁では、刑法の理解がなければ処分を決めるための的確な捜査を遂げることはできなかったし、裁判所では訴訟指揮について手続法の理解が前提となります。弁護士でも、一般民事の事件でも意外と(!)法律的に悩む問題は多くて、そういったところではこれまでの知識や、「試験」でも必要とされる「法律的な議論の運び」が求められたように思います。

 今思えば、二年前に間違って受かってしまっていたら、そういった前提を欠いたまま修習に臨んでしまい、本来得るべきものの手前で躓いてしまっていたことでしょう。不合格を受けてそれなりに勉強していたからこそ、修習の期間に裁判官と議論したり、弁護士と新たな法律構成について検討したり(「試験」の問題で出てくるような高度な問答ではありませんが…)と、貴重な機会を得ることができました。ですから、辛い受験勉強は決して無駄にならないし、再受験になったことも長い眼で見れば間違っていないといえるはずです。(「二回試験のご報告と更新終了のお知らせ」/ "新「試験」再チャレンジ日記")

http://lawnin.blog83.fc2.com/blog-entry-229.html

 

 「試験」でできなかったことを反省すると同時に、「試験」を通して身に付けた基礎を大事にして、これからの修習を頑張っていきたいと思います。