弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

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「試験」の暗黙知 ~合否を分ける一つの要素~【学生時代の記事の再掲】

 最近、野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(東洋経済)という本を読み、これまでの人生観・仕事観が変わるような体験をしました。

 この本は経営学の名著として有名ですが、「暗黙知」・「形式知」の定義とその実際的意義については、企業経営以外の分野にも通じる部分があると考えます。今回は、「暗黙知」・「形式知」の概念を借用して、「試験」に合格する条件について考えてみたいと思います。

 

1.「暗黙知」・「形式知」の定義

(1) 暗黙知

 「暗黙知」とは、本書では次のように説明されています。

 

 "・・・暗黙知は二つの側面を持っている。一つは技術的側面で、「ノウハウ」という言葉で捉えられる、はっきりとはこれだと示すことが難しい技能や技巧などが含まれる。たとえば、長年の経験を持つ熟練職人は、指先に豊かな技能を蓄えている。しかし、彼が自分の持っている「知」の背後にある科学技術的原理をはっきり説明できないことは珍しくない。

 同時に、暗黙知には重要な認知的側面がある。これに含まれるのが、スキマータ、メンタル・モデル、思い、知覚などと呼ばれるもので、無意識に属し、表面に出ることはほとんどない。この認知的側面は、我々が持っている「こうである」という現実のイメージと「こうあるべきだ」という未来へのビジョンを映し出す。簡単には言い表せないこれらの暗黙的モデルは、我々が周りの世界をどう感知するかに大きな影響を与える。"(p.9)

 

 前者の技術的側面についてはスポーツを思い浮かべるとよく理解できます。野球のスイングについては確かに技能や技巧があります。しかし、腕のいいバッターが自分のスイングがなぜ正しいのか説明できるとは限りません。このように、「暗黙知」の技術的側面とは、言語的に説明できないが「できる」という状態をいうものであると私は理解しています。

 そして、後者の認知的側面については「試験」との関係で後に詳しく述べますが、さしあたり言語的に説明できないが「感じ取っている」状態と理解できるかと思います。

 

(2) 形式知

 これに対し、「形式知」は次のように説明されます。

 "・・・形式知は、言葉や数字で表すことができ、厳密なデータ、科学方程式、明示化された手続き、普遍的原則などの形でたやすく伝達・共有することができる。したがって知識は、コンピュータ符号、化学式、一般法則と同一視されているのである。"(p.8)

 典型的には、マニュアルに記載されるような言語的知識を想像すればいいと思います。さきほどのバッティングの例で言えば、フォームの図解がこれに当たります。

 

(3) まとめ

   暗黙知

    技術的側面

    認知的側面

   形式知

 

2.「試験」における「暗黙知」の存在

(1) 技術的側面

 「試験」と初めとした法律の試験で、良い答案を書くために必要とされる技能が存在することを否定する人はいないと思います。実際、平成21年に公開された「新司法試験における採点及び成績評価等の実施方法・基準について」では、採点において留意される事項について次のように述べられています。

 "採点に当たっては,事例解析能力,論理的思考力,法解釈・適用能力等を十分に見

ることを基本としつつ,全体的な論理的構成力,文書表現力等を総合的に評価し,理

論的かつ実践的な能力の判定に意を用いるものとする。"

 ここに書かれた「事例解析能力」、「論理的思考力」、「法解釈・適用能力」、「論理的構成力」及び「文書表現力」というのが「試験」に必要とされる主な技能です。そして、「事例を適切に解析できる」、「論理的に思考を進めることができる」、「法を解釈し、当てはめることができる」、「論理的な文書構成ができる」、「わかりやすい文書を作成できる」といったことが、「試験」の暗黙知の技術的側面に当たります。 

 

(2) 認知的側面

 合格者の多くは、いわゆるマインドも「試験」合格のために必要であったと感じているはずです。例えば、私は直前期に「素直な人が伸び、頑固な人は伸び悩むよね。」といった話をよくゼミ仲間としていました。

 あるいは、「試験」のマインド面でのバイブルというべき永山在浩『これが「試験」の正体だ!』(辰巳法律研究所)では、「聞き上手」の重要性が次のように説かれています。

 "問題文を読むと書きたいことが山ほど出てきます。特にその傾向が強いのは憲法の人権ですが、頭の中に、書きたいことが湯水のごとくわき上がってきます。ところが出題者が求めているのは、その一角なんです。全部を求めているのではなくて、その問題に必要な範囲で書いてくれといっているわけです。"(p.13)

 このように、「試験」とは「どのようなものであるか」、そして合格するためには「どのような人であるべきか」といったマインド面の姿勢を、「試験」の暗黙知の認知的側面と呼ぶことができると思います。

 

3.「試験」における暗黙知の獲得の難しさ

(1) 暗黙知はしばしば「センス」と呼ばれる

 今までで述べたように「試験」の暗黙知は合格のための重要な要素であると考えますが、このような暗黙知を早い時期から備えている人々がいます。それは「院」の成績優秀者です。

 スポーツになぞらえてみるとわかりますが、同じ練習をしているのに飲み込みが早い人と遅い人に分かれるというのはよく見られる現象です。同様に、「院」ではほとんどの人が「真面目に」(まさにその意味が問題ではありますが。)勉強に取り組みますが、やはり起案をしてみると良い答案を書く人と悪い答案を書く人に分かれます。そして当然ながら、良い答案を書くことが「できる」人が成績優秀者に名を連ねます。

 合否が出てみてようやく実感しますが、「院」の成績と「試験」の合否の相関性は極めて高いです。その理由は、「院」の授業・期末試験における暗黙知と「試験」における暗黙知がほぼ合致しているためだと考えています。したがって、「院」の成績優秀者は、短答に必要な知識の吸収さえ怠らなければ順当に合格していきます。

 このような成績優秀者は「センス」のある人と呼ばれ、周りの人はもちろん、本人にもなぜ良い答案を書くことができるのかうまく説明できなかったのではないかと思います(もちろん、それが血の滲む努力に裏付けられていることは知っています。しかし、スポーツと同様に努力だけで説明できないものがあることも理解していただけるはずです。)。

 

(2) 「センス」のない人の苦悩

 「センス」のある人は、「試験」に必要な暗黙知を自然に獲得することができます。そこで問題は、「センス」のない人が暗黙知を獲得し、「試験」に確実に合格するためにはどうすればよいかです。

 前掲『これが「試験」の正体だ!』には、著者の浪人時代の苦悩が綴られています。

 "・・・何度もやめようと思いました。でも、やるべきことがわかったうえで、それができなくて落ちるのならあきらめもつきますが、わけがわからないままやめるのは悔しい。でもこの世界、出題者が何を求めているのか、わからないんですよね。「いったい自分のどこが悪くて受からないんだろう」「受かる人間はどこがいいから受かるんだろう」といったことについて、あまりにも情報が少ない。受験生活をやっていて、いちばんつらかったことです。"(p.8)

 

4.新「試験」に対する期待 ~方法論の確立の可能性~

 先の永山先生の苦悩は旧「試験」時代のものです。しかし、新「試験」になったことに伴う様々な変化により、「センス」のない人が「試験」に確実に合格する道筋が開けつつあるのではないかと私は期待しています。

 ここで野中・竹内『知識創造企業』に話を戻すと、同書には個人が暗黙知を獲得する3つの方法が書かれています。すなわち、①個人単独による個人知の創造、②他人の暗黙知の「共同化」、③形式知の「内面化」です。

 ①は過去問等を愚直に解いて学ぶということに尽きると思うので、以下では②と③について説明を加えます。

 

(1) 他人の暗黙知の「共同化」 ~「院」というプラットフォーム~

 前掲『知識創造企業』には、「共同化」について次のように書かれています。

 "共同化とは経験を共有することによって、メンタル・モデルや技能などの暗黙知を創造するプロセスである。人は言葉を使わずに、他人の持つ暗黙知を獲得することができる。修業中の弟子がその師から、言葉によらず、観察、模倣、練習によって技能を学ぶのはその一例である。ビジネスにおけるOJTは、基本的に同じ原理を使う。暗黙知を獲得する鍵は共体験である。経験をなんらかの形で共有しないかぎり、他人の思考プロセスに入り込むことは非常に難しい。情報は、共体験に伴うさまざまな感情やその特定の文脈から切り離されてしまえば、ほとんど意味を失ってしまうのである。"(p.92)

 ここにいう「共体験」として、私たちは「院」のクラスや自主ゼミの仲間と共有する体験を想起するはずです。

 新「試験」に移行した際の最も大きな変化の一つが、「院」の創設と、その卒業を「試験」の受験要件としたことです。これにより、私たちは全員(ただし予備試験組を除く。)、「院」の同期や先輩合格者、さらには教授から技能やマインドを観察・模倣する機会を得ました。

 したがって、「院」という人的プラットフォームを最大限に利用することが合格への近道といえそうです。実際、友人をたくさん作ったり、先輩合格者や教授に積極的に話を聞きに行ったりしていた人ほど「試験」に合格しています。

 

(2) 形式知の「内面化」 ~情報公開、インターネット~

 "形式知暗黙知に内面化するためには、書類、マニュアル、物語などに言語化・図式化されていなければならない。文書化は、体験を内面化するのを助けて暗黙知を豊かにする。さらに、文書やマニュアルは形式知の移転を助け、ある人の経験を他の人に追体験させることができる。"(前掲p.103)

 新「試験」になって以来、「試験」委員会の情報公開が格段に進みました。出題趣旨や採点実感の公表です。

 このような公式資料には試験委員の求める技能・マインドが形式知の形で書かれています。そのため、これを熟読・分析・実践することにより、「センス」のない人でも必要な技能・マインドを確実に身に付けることができます。

 また、昨今のインターネット環境の進歩はめざましいです。使い方次第ではありますが、合格者ブログやSNSを通じて「試験」の形式知を獲得することも容易になってきました。

 

5.理論から実践へ

 以上説明してきたように、「暗黙知」という概念を用いることにより、「センス」のない人が確実に「試験」に合格する方法論を理論的に説明することができるように思います。それは先の3つの方法を通じて能率的に「試験」の暗黙知を獲得することです。

 そして、その方法論に適した環境は新「試験」移行に伴って既に整備されています。

 そこで問題は、上記方法の具体論です。

 したがって、本連載の次回以降は、その具体論について特に㋐自主ゼミの利用方法と㋑出題趣旨等の分析方法にフォーカスして述べていきたいと思います。

 長文失礼致しました。