弁護ハック!-若手弁護士によるライフハックブログ

「弁護士 × ライフハック × 知的生産」をテーマに、若手弁護士が日々の”気付き”を綴ります。

×だけど、○。【学生時代の記事の再掲】

 報告が遅れましたが、無事「院」の卒業が決まりました。

 2年間の「院」生活は、友人もたくさんでき、とても楽しいものでしたが、学業面では必ずしも順風満帆というわけにはいきませんでした。特に、1年目(2学年)の後期では民事法総合Ⅲ(民事訴訟法)で落第し、その後半年間下級生と一緒に講義を受けることになりました(落第者は学年で29人。10%。)。今日はその時期から現在までを振り返ってみようと思います。

 1.落第(2011年3月)

 私の「院」では、必修科目で一度落第(評定でいうと「E」)を取ると、その二週間後に再試験を受けることになります。そして、再試験で及第点(評定でいうと「D」)を取ることができれば、次の年度での再履修を免れることができます。つまり、落第した私は、一度目の試験でEを取り、再試験でもEを取ったということです。

 今だから言いますが、私は一度目の試験が終わったとき手応えを感じていました。しかし、結果はE。自分ではBは堅いと思っていたため、とてもショックでした。

 本来だったらここで結果を深刻に受け止めるべきですが、当時の私はEなんて何かの間違いだと思っていました。自分の実力が見えていませんでした。そのため、再試験に向けた勉強もほとんどしませんでした。「当然何とかなる」と思っていました。

 その結果は、既に述べた通りです。

 2.「不合格」の味(2011年4月~7月)

 民事法総合Ⅲを再履修するため、発展科目である民事法総合Ⅳを3学年前期に履修することができなくなりました。これは私たち再履修組にとってキツイ宣告でした。クラスメートが民事法総合Ⅳを履修している最中、下級生と一緒に別の授業を受けなければならないからです。私のクラスの再履修組は6人(47人中)でしたが、まるでクラスから爪弾きにされたように感じました。

 民事法総合Ⅲに出席する時間と、クラスメートが民事法総合Ⅳを受けている時間がとにかく嫌でした。民事法総合Ⅲを受けている姿や、本来民事法総合Ⅳを受けているはずの時間にうろついている姿を、他人に見られないかすごく気になりました。落第のショック自体からは3月いっぱいで立ち直りましたが、再履修していて「恥ずかしい」という気持ちは3学年前期の最後まで続きました。

 3.悪人正機(2011年4月~7月)

 再履修になった理由については、実は成績発表の直後にわかっていました。結果を見て居ても立ってもいられず、教授の研究室に問い詰めに行ったからです。

 教授には非常に厳しいことを言われました。二三例を挙げれば、「この答案は学部でもC。ロースクールでは通用しない。」、「お情けで単位をもらおうという気が透けて見える。」、「s法試験合格率と成績は相関関係がある。Aランクの人は大半が受かる。君らCランクの連中は5割どころの騒ぎじゃない。」等々。

 ここでようやく、自分の答案がボロボロであることがわかりました。実際、教授の指摘するように、私の答案には不要記載があまりに多く、問いに応える姿勢がまるでありませんでした。

 その後は、勉強姿勢にせよ答案の作成法にせよ、他人のアドバイスに謙虚に耳を傾けるようにしました。その時はまだ、クラスメートとゼミを組めるような状態ではなかったので、「試験」を終えた先輩に会ったりして吸収できることは何でも吸収するようにしました。破れかぶれだったからこそ、ゼロから勉強の方針を立てることにしました。

 4.転機(2011年8月~9月)

 その甲斐あってか、民事法総合Ⅲは「A」を取ることができました。また、他の科目も軒並み「A」か「B」でした。3学年前期だけ見れば、GPAは3.5を超えていました。

 小さい成果ではありますが、この結果を受けて私の中でわだかまっていたものが吹っ切れました。成績が悪くても取り戻せない後れではないこと、発想を転換しさえすれば好成績を取ることも不可能ではないことに気付きました。

 また、この時期にはもう一つ転機となる出来事がありました。一つ上の学年の友人(他大ロー)が200番以内の上位で「試験」に合格したことです。比較的身近な人が上位合格した事実に加え、一見しんどそうな顔を見せなかったその友人が影で血の滲む努力をしていたことに、素直な驚きと尊敬の念を覚えました。

 その後、その友人に言われた通り「趣旨」、「採点実感」、「ヒアリング」をバインダーにまとめて、折に触れて読むようにしました。当然、これまでも「趣旨」等は過去問演習の際に読んでいましたが、改めて読み物として読んでみると数え切れない発見がありました。「試験」勉強は結局ここに書いてある出題者の要求に従うためにするものだと気付き、勉強の方向性が初めてはっきりしました。

 5.小さな結果を積み重ねることの大切さ(2011年10月~現在)

 その後は、「趣旨」等や合格者ブログを適宜参照しつつ、勉強の目標と方法を常に再点検してきました。落第した時の恐怖は今でも残っていて、全く独自の勉強法や答案作成法にはためらいを感じてしまいます。皆と同じ方法では良い結果は出せないと知りながらも、他面では自分の考えの根拠・裏付けを外部に求めてしまいます。石橋を叩いて渡る状態ですが、これを守っている限り少なくとも過去の失敗を繰り返すことはないと思っています。

 それから、授業にしても模試にしても、成果を求めるようにしました。「成果の出る勉強が正しい勉強だ」と、これも誰かの合格者ブログに書いてあったからです。ホームランでなくていいので、ヒットを一本一本積み重ねるようにしました。

 ありがたいことに、私の打ったヒットのいくつかを見ていてくれた人もいたようです。

 6.終わりに

 民事法総合Ⅲで「E」を取ったとき、目の前が真っ暗になりました。教授の言う通り、このままでは「試験」も不合格だと思いました。そして、このままではまずいとわかっていても、踏み出す方向がわかりませんでした。

 多かれ少なかれ周りの同級生も私のことをそういう目で見ていたと思います。「ああ、あの人は×だな。」と。一度大きな失敗をすることは、失敗のレッテルを貼られることでもあります。

 しかし、そこで腐ってしまっては、「あの人はやっぱり×だった。」で終わってしまいます。

 私がこの1年を通して学んだことは、失敗を成果に転換させることの大切さです。そして、小さな成果を積み重ねたとき、他人は過去の失敗よりも現在の成果を見てくれます。人間はそうしたプラグマティックな生き物です。

 さて、話が長くなりました。最後のヒットを打つためにもうひと頑張りすることになりそうです。